伏馬田城



形式 山城 【位置】
伏馬田城のある山の南には、国道413号と道志川が流れ、甲斐の山中湖への古道が通っていた。
年代 戦国時代
城主 尾崎掃部助
遺構 郭・堀切
所在地 相模原市藤野町牧野
訪城日 2008.2.27



【歴史】
(案内板より)この城山は、後北条氏の家臣団「津久井衆」の一人である日連村の尾崎掃部助が守っていた。『妙法寺記』には、天文五年(1536)小山田氏の武将小林刑部左ヱ門が秋山口から侵入「アオネノヤカラヲチラシ足弱百人ばかり御取候」とある。アオネとは城址の西にある青根地区のようで、足弱とは女性・子供と思われる。



【遺構】
山は二つの峰から成り、その南峰に城址がある。頂部に主郭を置き、東下には二の郭へつながる帯郭を持つ。二の郭は北と西へなだらかに傾斜しており、西側下には腰郭を備えている。二の郭の北には浅い堀切地形が見られるが、堀下りが見られず西側は暖斜面となっている。堀切から先は真っ直ぐに伸びた細尾根が続き、主郭から西へ下ると細尾根が南へ90度曲がっているが、双方とも郭ではないようだ。遺構から見ると、砦もしくは烽火台程度の造りと思われる。城址からは眺めも良い。


【左上】主郭を南から見たもので、城址碑や石塔が立ち並んでいる。
【右上】主郭(右)と帯郭(左)を二の郭から見たもの。
【左上】二の郭先端から主郭を見たもの。二の郭は暖斜面なのが分かる。
【右上】西側斜面にある腰郭を二の郭から見下ろしたもの。長さ25m程はあろうか。
【左上】堀切を二の郭から見たもの。深さは1m無い。
【右上】堀切と二の郭を尾根側から見たもの。


【道】
国道412号線を厚木から相模湖へ向い、「青山」の信号を左折して国道413号線に入る。途中から「バカンス村」の看板に従い進み、右折をして亀見橋を渡りバカンス村看板は無視して道なりに伏馬田地区を過ぎ、山道を進むと、切り通しの右カーブの右側に「伏馬田城址」の表示と登り道があり、左側には案内板も立っています。20分程で山頂です。