蜂城



形式 山城
年代 鎌倉時代〜室町時代
城主 岩崎氏・栗原氏か
遺構 郭・縦堀・土塁・堀切・削平地
所在地 笛吹市一宮町土塚
訪城日 2007.11.7


             
蜂城の歴史や城主に付いては詳らかではなく、
鎌倉期から室町期にかけて、当地を領していた
岩崎氏と、その後の領主栗原氏によって、詰の
城としての役割を担っていたと思われます。

参道から登って行くと、途中石鳥居が建つ虎口状の削平地に着きます。ここからは甲府盆地の見晴らしが良いですよ。山頂には蜂城天神社が建つ主郭があって、北西と南東には尾根が下りています。社の裏には土塁が残り左隅から一段下がると小削平地があって、尾根に対する櫓があった可能性があります。尾根の先には人工的に尾根を削って造られた20m程のテラスが見られ、城に籠もった時の居住地区だったかも知れません。堀切は三条で、尾根筋を防御はしているが、共に幅が狭過ぎて疑問が残ります。

【左上】虎口遺構か?: 石鳥居が建つ小削平地。山頂側から撮ったもので、道は削平地の
     前を左に折れて登って行きます。

【右上】主郭: 山頂に建つ蜂城天神社。両側には土塁の痕跡が残り、内部は細長い。
【左上】土塁: 社殿の裏にはハッキリと土塁が残っています。
【右上】南東尾根側の削平地から見た主郭。手前の削平地は小郭か櫓台だったと思われ
     ます。
【左上】1の堀切: 埋没していて痕跡程度になっていました。
【右上】2の堀切: 主郭とは反対側から撮ったもので、2の堀切(手前)と1の堀切(奥)を
    見たところ。
3の堀切: こちらも随分埋没していました。


【道】
国道137号の上黒駒バイパスを、河口湖方面から甲府方面へ向
い、若宮と上町屋交差点を直進して、下黒駒北を右折します。道な
りに行くと中央高速を潜る少し手前(京戸川手前)の右側から、蜂城
天神社山道の案内板があるので、それに従い広い農道に駐車する。
参道入り口の、金網で出来た獣避けの扉を自分で開閉して入る。
注意書があるので、鈴を付けて登る事をお勧めします。