苅野丸山城



形式 丘城 【位置】
矢倉沢から流れる狩川と南側の支流とに挟まれた丘上あり、背後には足柄山が控えている。
年代 戦国期
城主 松田憲秀
遺構 郭。縦堀・堀切
所在地 南足柄市苅野
訪城日 2007.4.25
参考資料 日本城郭大系


【歴史】
苅野丸山城の歴史に付いて、詳らかな事は分かっていない。狩川の北側には足柄古道が通っている為、丸山城がある尾根伝いにも足柄古道から分かれた間道が通っていた可能性があり、この道を押さえる目的で造られたと思われる。



【遺構】
丸山の名の通り、柔らかく丸い形をした山の山頂に長方形な主郭が残り、主郭南側には腰郭の痕跡が見られる。東南側斜面には三段程の段郭を配置して、下段には虎口が残っている。また、この段郭の横には二本の連続縦堀が残り、段郭から横矢が掛かる。虎口の南から主郭へ通じる山道と南下を通る農道との間に縦堀か横堀状の溝が見られる。主郭の背後(西側)は尾根が緩やかに下り、最下部に堀切らしき地形はあるが、埋没したのか判然としない。この北側には段状の林になっているが、遺構かは分からない。


【左上】写真@段郭の南側に残る縦堀もしくは横堀と思われる溝。
【右上】段郭の上段には石の祠が祀られている。
【左上】段郭横に残る縦堀。
【右上】段郭から二本目の縦堀。主郭まで達している。
【左】主郭の背後には堀切らしき浅い溝が
   見られる。北側から見たもの。


【道】
大雄山線の大雄山駅から足柄峠へ向うと、狩川に架かる前田橋を渡り広域農道を進むが、前田橋を渡ると左へカーブし直線で上って行く。右にカーブした所の右側に駐車スペースがあり駐車できる。カーブの左側へ下りる農道を25m程行くと斜め左へ林へ入る道跡を行くと途中道は無くなるが、正面の小丘が主郭である。手前には堀切らしき跡があるが、見落とす可能性が大であるが、北側側面からでないと分からない。
もう一方は、林へ入る道跡を行かず、農道をそのまま下ると左側に写真@の縦堀もしくは横堀の農道の右側に駐車スペースがあるので車を置き、少し先にみかん畑へ入る道がある。