形式 | 尾根城 |
時代 | 戦国時代 |
城主 | 後北条氏 |
遺構 | 郭・土塁・堀切 |
所在地 | 南足柄市矢倉沢 |
訪城日 | 2007.4.25 |
【位置】 古楢尾砦は、南の足柄城と北の阿弥陀尾砦の間に位置し、東西26m、南北32.5m程の単郭である。 |
【遺構】 北西側から北東側へかけて土塁が残っていて、虎口 は東にあったと思われます。土塁の北西には櫓が建て られていたらしく、土塁が北西へ伸びる尾根側に広く なって、櫓台を形成しています。櫓台下の尾根には、 堀切を入れて北西方向からの侵入を防いでいます。古 楢尾砦の役割は、尾根道の監視にあったと思われます。 |
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霧で霞む砦。土塁がひっそりと残る。 |
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主攻方向の北西尾根にクッキリと残る堀切。 |
形式 | 尾根城 |
時代 | 戦国時代 |
城主 | 後北条氏 |
遺構 | 郭・空堀 |
所在地 | 山北町 |
訪城日 | 2007.5.9 |
【位置】 阿弥陀尾砦は、東西35m、南北41mの単郭ですが、駿河・甲斐方面の国境を守る、後北条氏の足柄城の支砦として、尾根筋の防備や砦間の連絡機能を備えていたと思われます。城地は、南に古楢砦・通り尾砦・足柄城と繋がり、東は浜居場城、北は丹土尾砦・長土手遺構へと下る尾根の分岐点に位置しています。平時は数人が置かれ、国境が緊迫したり、他国へ出兵の際には、国内が手薄になる為、兵を多く入れて守っていたと思われます。空堀の外側に広い削平地が2段あるのは、その時に兵の駐屯地として、使われていたのでしょうか。 |
【遺構】 足柄城から向うと、主郭へ入る緩い坂の左側の薮中には、横堀状の溝があります、遺構かは定かではありません。主郭は薮に覆われ、探索は難しくなっています。土塁などの痕跡は無い様で、外縁を木柵で囲っていたと想像出来ます。主郭から下がった北側から西側にかけて、L字に曲がる空堀跡が残っていて、西端へ行くにつれ浅い溝が分かります。また、外縁には虎口状の溝があり、そこからスロープが左へ下りていて興味深く、もし空堀ではなく、帯郭だとしたら虎口遺構と見なせますが、今後の考証に任せたいと思います。これより下には、2段の削平地が広がっています。 |
![]() 薮が生い茂る主郭内部 |
![]() 景図工房さんが取り付けたプレートです |
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浅く溝が残る西側の空堀跡。右が主郭側。 |
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下の削平地から一段上の空堀へ繋がるスロープ。右へ直角に曲り、空堀へ入る。 |
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埋没している北側の空堀跡。 |
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西側にある2段の削平地。下段から上段、空堀、主郭方向を見る。人工的に段差を付けている事が分かります。 |
【道】 足柄万葉公園の駐車場に車を止め、尾根上を北へ歩くと案内板が立っている通り尾砦、古楢尾砦へと着きます。阿弥陀尾砦へは、古楢尾砦の右前方伸びる尾根道を進むと、直ぐに森の中へ直進する道(関係者以外立ち入り禁止と書かれた)と、右に下りる道とに分かれますが、直進して2,3分程行くと、ピークの平場を左に回りこんで入ります。道が左に直角に曲がる所に、木につるが巻き付いているので、右につるの奥へ進み、道が現れますから、その先の木立を抜けると緩い坂になり、薮になる所からが城域です。藪中の道を抜けた左前方の木に、景図工房さんが付けられた「阿弥陀尾砦」のプレートがありますので、こちらを確認後に探索される事を、お勧めします。 |