宮城野城



形式 尾根城 【位置】
宮城野の集落と碓氷洞門との間に下って来ている尾根上に城址がある。この尾根には宮城野から千石原や足柄方面への古道が存在していた為、それを押さえる役割があったのではないか。
年代 大森氏・後北条氏
城主 同上
遺構 郭・堀切地形
所在地 箱根町宮城野
訪城日 2008.8.27
参考資料 箱根をめぐる古城30選




【歴史】
宮城野城の存在に付いて、古文書等には名前が発見されておらず、詳細は分かっていないが、尾根上に円形の三郭を並べる古い形態から、大森氏時代に築城されたと思われる。宮城野城は天正18年(1590)の小田原の役に際し、豊臣軍に対し北条軍が陣場を構築して侵攻を阻止しようとした宮城野陣場と長く混同されていたようだ。宮城野陣場は宮城野城より更に尾根上方の火打石岳付近に存在したようである。



【遺構】
宮城野城址のある尾根上には南郭・主郭・北郭の連郭式の遺構が有ったが、送水管が敷設されて遺構の半分以上が消滅してしまっている。現在、北郭は碓氷峠梅林となって平にされて見る影も無いが、主郭は東半分位が半円形に残り碓氷峠の碑や東屋が建てられている。しかし、訪れる人も少ないのか忘れ去られたかのように藪に埋もれてしまっているのは悲しい。主郭の右半分や北郭は林道工事や送水管敷設の残土捨て場となり、平に成らされて見る影も無い。ここに城があると言う事はこの尾根に古道が通っていた事を示し、背後の稜線上には足柄城方面や塔之峰城方面へと向う道と合流する為、ここを押さえる必要が有ったのであろう。


【左】林道から見た北郭と城址。
【右】朽ち果てそうな城址の案内板。案内板の図では、郭跡が送水間の右側に描かれてい
   るが、実際は左側に残っている。
【左】城址を貫く送水管を林道側の途中から見たもの。左側が主郭跡で右側が碓氷峠梅林。
【右】送水管を挟んで主郭の東側半分域に立つ碓氷峠の碑。一段高くなっている所にある
   のが分かり、往時の雰囲気が漂う。
【左】主郭から南郭(奥の林)を見たもの。林との境に堀切が残っている。
【右】主郭と南郭の間の堀切を送水管側から見たもの。右側が主郭で左が南郭であるが、
   南郭は藪が酷く送水管で削られ小さくなっている様だ。
【左】北郭から主郭を見る。半円形の形が見られ、現在は碓氷峠梅林となっている。
【右】主郭の側面を見たもの。遺構らしいものは見られない。


【道】
国道1号線を箱根湯本駅前から行くと、宮ノ下で国道138号へ分かれ、宮城野へ向かう。宮城野へ入り、新碓氷橋を渡ったら直ぐに鋭角に右へ折れる道を右折し、短い橋を渡ると直ぐに左折し、「東急ハーベストクラブ箱根明神平」へ向かう。九十九折を上った所で5差路になるので、左折して道成りに進むと別荘地を離れて林道になり、送水管や鉄塔がある所が城址なので迷う事は無い。車は林道沿いのスペースに2台程置ける。