中山砦

形式 山城 【位置】
甲州街道、台ヶ原宿の南方にある中山山頂に位置し、この地方に勢力を持っていた武川衆の拠点である。
年代
城主 武川衆
遺構 郭・土塁・虎口・空堀・堀切・竪堀
所在地 北杜市武川町三吹
訪城日 2010.6.8
参考資料 日本城郭大系


【歴史】
戦国時代に武田氏の流れをくむ、一条源八時信の子孫が大武川周辺の牧原・山高・柳沢・横手・白須村へ分封して姓を名乗り、次第に武川衆として武田信玄や勝頼の時代までに勢力を持っていった。その後、戦での武川衆の名が見られるのは、武田家が滅び北条氏と徳川氏との甲斐の国の争奪戦(天正壬午の乱)である。天正十年八月十二日、北条方は黒駒合戦で徳川方に敗れると大門峠からも甲斐に侵攻し、若神子一帯に陣を張った。一方、徳川方は新府城を補修して入城し北条方と対峙した。同年八月二十九日に中山砦の北方、北条方の深沢砦近くの花水坂で戦があり、武川衆の山高宮内・柳沢兵部らが北条方を討ち取っている。この時、武川衆は中山砦から出陣して行ったと思われる。



【遺構】
中山峠から向かうと25分程で展望塔が建つピークに着くが、この直ぐ手前で一条の堀切があり、ピークは峠側に対する物見の施設があったのであろう。更に進むと5分程で二条の堀切を経て北郭の北西に着く。山上は土塁で囲われた長方形で、中央付近に北郭と南郭に分ける仕切り土塁と虎口があり、北郭の東側土塁にも虎口が残っている。城の北・東側は腰郭と帯郭を配し、南側は腰郭と三日月堀で守りを堅くしている。また、三方向へ延びる尾根には堀切や竪堀を備えている。
南武さんのページ、「古城を歩く」にも詳しく載せられていますので参考にして下さい。


【左】中山峠側の展望塔手前に掘られた堀切。峠側から撮ったもので、中央に土橋が
   見える。
【右】北郭の東側虎口を郭内から撮ったもの。
【左】北郭の東側土塁。
【右】北郭と南郭との虎口を南郭側から撮ったもの。
【左】南郭の南側土塁。城内では一番高く盛られ、厳重さが分かる。
【右】南郭下に構えられた腰郭。
【左】三日月堀を腰郭から見たもの。右半分が埋没している。
【右】南郭の東側にある帯郭。


【道】
国道20号線から中山峠へ向かう。中山峠の標識の所に車3台ほどの駐車スペースに置き、「中山頂上展望台へ」の標識に従い約25分で堀切と展望塔へ着く。更に5分ほど尾根を歩けば砦址である。