七沢城

形式 山城 【位置】
七沢城址とされる、神奈川県立リハビリテーション・センターの西方2.5kmの見城台にある。
年代 15世紀中頃
城主 扇谷上杉氏
遺構 郭・堀切
所在地 厚木市七沢
訪城日 2011.9.28
参考資料 「関東の名城を歩く、南関東編」


【歴史】
七沢城の築城時期は不明ですが、『鎌倉大草子』と言う、宝徳二年(1450)に起こった鎌倉公方足利成氏と関東管領山内憲忠の重臣達との争いの事が書かれた書に、初めて七沢城の名前が出て来ます。長享二年(1488)には、山内上杉家と扇谷上杉家との間で争いが起き、同年二月に山内上杉顕定と扇谷上杉定正が、実蒔原で合戦に及び勝利しますが、定正の兄弟、朝昌が守る七沢城は一説には落とされたとされています。その後、北条早雲が小田原城を攻略し次第に七沢にも迫り、藤沢の大庭へ移ったと言われます。





【遺構】
細長い山頂部を長方形に削平し、主郭・二の郭を配して北西・南東・南西の派生する尾根に郭を配置しています。南西尾根の林道からハイキング道を登って来ますと尾根の鞍部の出ます。左へ行くと直ぐ舌状の郭らしき削平地9があり、振り返って見た方が郭に見えます。この先には断崖が迫り、左側に虎口と城道を設け、上部には物見台の郭8から横矢を掛ける様になっています。尾根上に出た所に門があったと思われ、その先少し自然地形(表面観察では)を上ると僅かに段差が残る段郭状の削平地が数段見られ、大石がある郭の背後に堀切が残っています。堀切を過ぎると、段差を設けた先端に大石がある三の郭に出る。ここから二の郭への通路ですが、かなり埋没しており切岸も低くなっていてハッキリしませんが、三の郭の郭面が二の郭の南側先端下にも続いている感じなので、竪堀10に橋を掛けて東側に回していた様に思います。四の郭は広く、小屋掛けに適しています。主郭から北東へ下る尾根の途中に郭が二ヶ所と大岩のピークの見張台が確認出来ます。城の主攻方向が南西尾根側に置かれているのは確かで、道はリハビリセンターの七沢城方面と日向薬師へと続いています。表面観察からは技巧的な遺構は見れませんので、後北条氏の使用は無かったと思われ、扇谷上杉氏時代の遺構が残っていると言えるでしょう。


【左上】南西尾根の先端に残る見張台8の郭。
【右上】南西尾根の途中にある段郭群6。
【左上】6の段郭群を下から撮ったものです。
【右上】中央の石の後ろに堀切がありますが、左側は埋没しており、右側には堀跡と堀下りが残っています。大石がある段は4の
三の郭です。
【左上】5の四の郭を二の郭側から撮ったものです。先端下には小さな腰郭があります。
【右上】二の郭東側に沿って残る腰郭です。左が二の郭で、正面奥が主郭です。
【左上】主郭から堀切(中央黄色線)を挟んで二の郭を撮ったものです。二の郭から主郭へは、堀切の右端から橋で行き来して
いた様に思えます。
【右上】主郭を北側から撮ったものです。細長い頂部を削った事が分かります。


【道】
県道64号線から廣澤寺を目指す。廣澤寺の入口を右折せずに進むと直ぐ、左側にハイカー用の駐車場があるので車を止め、徒歩で先の道を300m進むとY字路になるので左の林道へ入る。600m程歩くと右側に弁才天があり、そのすぐ先の左側にハイキング道の入口があります。10分程で尾根の鞍部に出るので、左の尾根へ行けば直ぐです。林道のゲートが開いていれば(ハイキングシーズンは開いています)車でハイキング道入口の所にある駐車スペース(7.8台)に置くのが便利です。