大野城(花鳥山城)


形式 山城 【位置】
大堀山から続く尾根上にあり、城址からは甲府盆地が一望できる。尾根の両側には御坂峠方面へ向かう古道らしき道が通る。
年代 戦国時代
城主 不明(穴山氏?・武田氏・徳川氏?)
遺構 郭・土塁・堀切・竪堀
所在地 笛吹市御坂町大野寺
訪城日 2012.12.19日・2013.1.3日
参考ページ 山城めぐり・城逢人・甲斐武田を探検っ!!
参考資料 戦国武田の城


【歴史】
詳らかな事は分かりませんが、城山の事が『甲斐国志』に、最も高き峰を城山と呼び、昔から烽火台として村人に認識されていた事が書かれている様です。宝徳2年(1450)頃には、城の北方にある小山城に穴山伊豆守が居城しているので、この頃から詰の城、或いは御坂峠方面からの脅威に対して築城された事が考えられます。文明四年(1472)に信濃の大井氏が甲斐国に侵攻し、花鳥山で合戦があり、大永三年(1523)にはこの地で穴山氏と南部氏の合戦があった様です。



【遺構】
遺構は尾根上に700m(地図上で測ると)に及び残っています。段郭は埋没が著しく高低差が無くなっている個所や、堀切も埋没したり幅の狭いものも見受けられて、通路も分からなくなっている部分もあります。全体的に古い形態の山城に見えますが、竪堀を各所に使い主郭周辺には武田流の畝状竪堀などの技巧的な縄張りが見られ、主郭を重点的に守ろうとする意図が感じられます。武田氏が滅んだ後に北条氏と徳川氏が争った壬午の乱で、徳川方が御坂城の北条氏に備え、小山城と共に入った可能性もあります。
先ず、大手尾根先から九十九折りに登って行くと、5分程で最初の長い平場に着きます。虎口の土塁が少し残っていて更に進むと明確な二段の段郭があり、竪堀や張出して側面に横矢を掛けています。その上には櫓台跡と虎口がハッキリと残っています。背後には甘い削平の小郭と長い削平地があり、郭として使った事でしょう。ここまででも一つの砦の様です。
出郭は二段程に削平されていて土塁はありませんが、石仏がひっそりと佇んでいます。ここから尾根の中心に主郭までネットが張られていますが、こちら側を主郭方向へ左に向きを変えて行くと、埋まって浅くなった幅の狭い堀切があり、ここから急斜面に変わり直登です!城道は右側斜面を登ったのかな?消えている様な・・・。登って下さい!段郭が待っていますよ。埋もれていまして、段差が余り無く古い遺構と思われますが、上段の付け根には竪堀が下っています。見上げると直ぐ上が門跡・土塁・竪堀が残る二の郭です。西に下る尾根にも段郭が構えられていて、南側下には斜面を削って造られた古道が主郭から二番目の堀切を通っています。二の郭内は両側に低い土塁があって、主郭側ではつぼんで土橋状に削られた細尾根を渡り、主郭の虎口へ入ります。主郭内は台形で四方を土塁で囲われています。ここから東斜面には堀切・尾根に竪堀を入れ、土橋にしてU字に曲げた部分・連続竪堀・畝状竪堀(黒備えさんとの発見)・竪堀内を上がって来た兵に対処する二段の郭(黒備えさんとの発見)・崩れ止めの石が露出した段郭などの技巧的な遺構が見られます。主郭南側には出城側からの攻撃に対する備えで、腰郭→堀切(幅が狭く古い感じです)→二段の郭→古道の通る大堀切と続きます。大堀切までが主郭側の守りで、この先からは出城側の守りの範囲に入って行きます。先へ進むと二条の幅の狭い堀切を経て送電線の鉄塔を越え、出城へ入ります。主郭の東面に土塁の痕跡があり、西と南に尾根が下っています。西の尾根を下ると狭くなった堀切と小さな虎口状の平場があって、更に直ぐ下に鳥瞰図には記載出来なかったですが、細尾根に右側の片堀切と上からY字に合流し、カーブして下って行く大きな竪堀状の溝が見られます。これが改修後の遺構だとしたら、かなりの普請です。
尾根を変えて、南の尾根を下ると土橋の掛かる堀切があり、西側の堀下りは左へカーブしています。その先は土塁を伴った二郭と段郭が二段、大堀切で終了していますが、大堀切の古道側に堀底から繋がった平場があります。これは古道を意識したもので、堀底の古道側に門が有ったのではないかと推察します。古道を少し下ると九十九折りになり、ここには柵と木戸が想定出来ます。道は近年まで使われていたらしく、「狩猟注意」だったか看板が立っていますが、上方のゴルフ場が出来て廃道になったのかも知れません。
以上説明をして来ましたが、まだ周りを調べれば遺構が見付かる可能性が有ります。大野城は尾根の両側に古道と思われる道が通り、片側の道を城内に入れているので、古道を抑える城として機能した重要な城であったと推察でき、遺構は完存していますので冬場の訪城がとてもお勧めです。


【左上】大手尾根から登った途中にある段郭です。石積みの一部や左側に二条の竪堀が見られ、奥上段が櫓台です。
【右上】出郭と二の郭間の堀切を上方から見たものです。
【左上】更に登った段郭背後の竪堀を、下から見上げたところ。
【右上】二の郭内部です。左右に土塁が残っています。奥が土橋状の尾根と主郭です。
【左上】二の郭から西へ下る尾根に残る段郭です。各尾根に相応の普請をしています。
【右上】城址から八ヶ岳の眺めです。左下には建設中のリニア線が見えますから、城の辺りを通っている様です。
【左上】主郭の内部です。奥の倒木の所が二の郭からの虎口です。四方は土塁で囲われています。
【右上】主郭東下の技巧的な縄張りの部分です。右に堀切(埋もれています)と、中央が土橋で左に竪堀が食い込んでいます。
     尾根を⊃型にしています。
【左上】畝状竪堀です。畝を越えて奥にある二段の郭へ続く道も見えます。
【右上】主郭南下の堀切を東下から見たところです。
【左上】堀切を下った所の二段の郭です。上段の左側には竪堀も有ります。
【右上】古道を通した大堀切。主郭側は岩盤を削った普請で見応えがありますよ!
【左上】大堀切へ続く古道と思われる道です。斜面を削って造られていますが、堀切手前では崩れたのかとても細くなっています。
     写真は良く残っている所です。
【右上】二段に削平された出城です。
【左上】出城の西尾根からカーブして下る竪堀と思われます。
【右上】南尾根から振り返って出城を見たところで、手前は土橋が残る堀切です。
【左上】最後の大堀切を出城側から撮りました。左に門が想定され、郭もあります。
【右上】大堀切から左へ下ると古道らしき道跡が残り、これを意識した縄張りと思われます。


【道】

福光園寺の正面から右へ道を進むと直ぐお寺の駐車場が
あるので、車を止めさせて頂き、道を進みガード下を潜って
真っ直ぐ道成りに進んで行くと尾根裾に沿うようになり、
上の写真の所に着く。右へ真っ直ぐ行くと黄色いゲートが
あるがこの手前の右に果樹園への入口を入ると左側と正面右
に黄色い扉が見える。正面の扉を入り、尾根上へ出たら左へ
尾根を九十九折りに登って行くと、5分程で最初の平場に
着きます。訪城に際しては、急斜面と落ち葉で滑りやすい為、
トレッキングシューズが必要です。私は履いていても一度こけ
ました。地図