忍城



小説や映画「のぼうの城」の舞台となりました、埼玉県行田市にあります忍城です。文明年間(1469〜1486)
に成田親泰が築城したと言われています。江戸時代の建物は明治6年に壊され、現在建つ御三階櫓は
昭和63年に再建されました。


藩校だった進修館の表門に土壁の狭間から、横矢を掛ける部分です。


上の写真の狭間から覗いた射界です。


同じく進修館の表門に繋がる本丸土塁。


城門


本丸の内部です


松平忠雅ゆかりの鐘楼


本丸敷地内にあります郷土博物館の入口には、映画「のぼうの城」のポスターが貼ってありました。
後北条氏方を題材にした痛快な戦国合戦映画で、城代の成田長親を演じる野村萬斎や正木丹波守の
佐藤浩一が良い役を演じていて、この映画は大好きです!「のぼうの城」
オフィシャルサイト


天正18年(1590年)6月、豊臣軍による後北条氏の小田原城攻めの際に、ここ忍城へも秀吉配下の
石田三成・大谷吉継・長束正家等の軍勢2万3千が囲み、三成の本陣がこの丸墓山古墳に置かれました。


石田三成の本陣が置かれた丸墓山古墳から、忍城天守閣(中央上)方面の景色です。この時、忍城の城主成田氏長は
家臣を率いて小田原城に籠城が決まり、城に残ったのは城代で氏長の従兄弟、成田長親以下農民を合わせて
2千6百人程であった。三成は水攻めに決して、ここより全長28キロにも及ぶ堤を1週間ほどで造らせましたが、
土地の低い下忍や堤根方面に水が溜まってしまい、遂には決壊して水攻めは失敗に終わります。忍城は小田原本城が
7月6日に開城した後の、7月14日の引き渡しまで唯一残った後北条氏方の城です。私は涙が出ます。



堤根に今でも現存する石田堤の一部です。



堤根の上越新幹線高架下にあります石田堤の断面を見れる施設です。映画の終わりで紹介されています。



上の施設の後ろに続く石田堤の一部です。