形式 | 山城 |
年代 | 戦国時代 |
城主 | 今川氏・武田氏・北条氏・徳川氏か |
遺構 | 郭・土塁・空堀・堀切 |
所在地 | 南都留郡忍野村 |
訪城日 | 2007.11.7、11.28 |
【位置】忍野鐘山は、忍野村と富士吉田市の境に位置し、 山裾を桂川が東から南を周る様に北へ流れており、南 には旧鎌倉街道国道138号)が並行して走っている交 通の要衝である。 |
![]() 主郭の虎口から腰郭・堀切Aを見たもの。 |
【遺構】 麓に建つ城山熊野大権現の説明板には、戦国時代に一時今川勢の拠点となり、度々武田勢が攻めた事が記されている。城山の主郭は三角形に削平され、西・北・南東へと尾根が下っている。西尾根には三段程の削平地を構えて守っている。北尾根には堀切Bと堀切Cの2条と、その間に馬出がある。南東尾根は、腰郭と堀切Aで守っている。大系では、郭があるとされるが明確ではない。東側には南東尾根から北尾根まで、長い帯郭が続いている。A区は、城番の館があった所なのか、南側に尾根間の谷間を土塁で渡し、北側は二重堀で守っている。鐘山は、今川勢や武田勢・北条勢・徳川勢の使用が考えられる。 ![]() |
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【左】堀切A: 中央に土橋が架かっている。奥が主郭側。 【右】主郭虎口下の腰郭より堀切A(中央)を見たもの。主郭と腰郭から敵兵を 狙い撃ちでき、この位置から山城の雰囲気が味わえる。 |
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【左】主郭の虎口Aを守る土塁。 【右】主郭南側の土塁。土が雨に流され、基部に使われていた石が露出している。 土塁は南側のみに見られる。 |
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【左】主郭の内部。虎口A側から虎口B側を撮ったもの。 【右】馬出から堀切Bを挟んで主郭を見たもの。中央が堀切Bに架かる土橋。 |
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【左】堀切Bの土橋を堀から見上げたもの。白い服の人物(のりおさん)で 大きさが分かると思います。 【右】堀切Cを帯郭から見たもので、左側が馬出。堀切B・C共に「日本城郭 大系8」の縄張り図には載っていないもので、今回の訪城でのりおさん と偶然見付ける事が出来ました。 |
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【左】南東尾根から北尾根へと続く帯郭。 【右】A区の二重堀と土塁に挟まれた削平地は、城番の館があったのか? |
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【左】A区の谷間を塞ぐ土塁。 |
道 国道138号線を山中湖から河口湖へ向かうと、「忍野入口」信号を右折し300m進み、桂川の橋を渡ると直ぐ右側に3台ほどの駐車スペースがあるので車を置き、道の反対側に自然遊歩道の案内板と道がある。少し進むとY字を右へ向かう。10分ほどで直進の道と右へ上る道の所を直進し、少しで尾根の切通しに着く。その道の先は右へカーブして発電所が見える。この切通しの左の尾根を行くと先端が切り落とされている。先端から左下の土塁へ、スロープ状の道が下からは分かるが、藪が多い時期は尾根先端から右へ斜面を下り、左へ向かうと二重堀を越えて土塁に着く。土塁沿いに進み向かいの細尾根に取り付く。道は無いがそのまま上れば少しで堀切Aに着く。 以前はクレー射撃場側の城山大権現横からの登城をご案内していましたが、危険性もあるので上記の行き方をご案内します。 |