王城山城



形式 山城 【位置】
旧東海道を見下ろす標高83.5mの王城山の山頂にあり、北東には高麗山城がそびえる。
年代 戦国時代
城主 不明
遺構 郭・堀切・土塁
所在地 大磯町大磯
訪城日 2008.7.9再訪
参考資料 日本城郭大系



【歴史】
王城山城の城主や使用年代に付いて詳らかな事は分かっていない。北条早雲の岡崎城攻めの時代に使われ、その後も管理をされていた様に思われる。



【遺構】
主郭は現在「明治天皇観漁記念碑」が建つ北側の上段と地下貯水槽がある南側の下段とに分かれている。主郭上段の北側には微高差で腰郭が出張るように付属し、その東側では横矢が掛かる。腰郭の下には舌状の削平地も見られる。主郭の東側下には腰郭群が五段程が認められ、搦手道と思われる下り道に対する構えと思われる。上段の広い腰郭から北へ一段下がると、その下の腰郭と接続して細尾根上を下る平坦面(郭か)が延び、途中の東下の斜面には主郭と二の郭間の堀切北側下まで続く腰郭が見える。主郭下段(地下貯水槽)の南下にも広い腰郭が見られ、登山道横の先端部は方形に出張っており、物見台と思われる。その下にも登山道で西側が削られてはいるが郭地形で、登山道に対する構えであろう。この辺りから西側斜面には三段の段郭が残っている。主郭と二の郭間の堀切は堀幅3〜4m程で北端では一段下がってテラス状の腰郭になっている。
一方、二の郭は木や藪が多いが何とか観察できる。堀切の北端側には高さ50cmの土塁が3m程見られ、ここから郭の中央を微高度段が幅を広げて西へ延びているが、郭を二分する為の土塁なのか上段の郭なのか櫓台なのか良く分からない。また、西方には三段の腰郭が付属している。東側の堀切に面しては、一段下がって側面と隅に設けられている。遺構は主郭面以外は良く残っている。※夏場は薮蚊が多い。


【左上】主郭上段を下段から見たもの。右側(東)には削平地が、奥で左へ折れ主郭内
     へ入っているが、これは後世に碑を運ぶ為に造ったと思われる。
【右上】主郭の下段内部。上面は平になっている。右側が上段で奥の林が二の郭。
【左上】主郭上段の内部。奥の金網下が下段。
【右上】主郭上段の東下の腰郭を南から見たもの。左が主郭上段。
【左上】同じく腰郭。幅は5〜6m程あろうか。
【右上】左写真の腰郭奥にある一段下がる段差を見たもの。左側へは腰郭がもう一段続く。
【左上】主郭と二の郭間の堀切を主郭の上段から見たもの。
【右上】二の郭の堀切際に残る土塁を二の郭内から見たもの。
【左上】二の郭の堀切に対する南隅の腰郭。
【右上】二の郭を二分する微高土壇の先端部左半分を西から見たもの。高さ50cm程。
【左上】二の郭の西に残る腰郭の上段を北から見たもの。
【右上】主郭下段の南下にある腰郭を東から見たもの。奥には物見台がある。


【道】
国道1号線を平塚方面から向うと、花水川橋を渡り「化粧坂」信号を斜め右へ旧東海道へ入る。200mで王城山入口の標柱を右へ曲がるが、このあたりで旧道に駐車する。住宅地を100m進むと左へカーブし、更に200mで右へカーブ、真っ直ぐ登る道と斜め右へ行く道に分かれる所を真っ直ぐ上る。道成りに上ると右側に2軒家があり過ぎると未舗装路になって更に進むと山頂に着く。1500ccクラスの車でも行けるが、Uターン場所が狭く斜面際なので自信が無い方は徒歩をお勧めする。