笹尾砦


形式 山城 【位置】
釜無川北岸の崖上に位置し、信州との国境に接しており、重要拠点であった。
年代 享禄四年(1531)頃〜
城主 金刺氏
遺構 郭・堀・土塁・虎口・石積
訪城日 .2006.6.21
参考資料 日本城郭大系



【歴史】
享禄四年(1531)、甲斐の逸見今井氏が諏訪氏と組んで起こした
叛乱により、武田信虎は諏訪氏の侵攻を予測して、諏訪下社の金刺
氏に笹尾砦を築城させ、立て籠もらせたが落城して翌年には今井氏
も信虎に降って対立は収まった。時代は下り天正十年(1582)、武
田家滅亡、本能寺の変と情勢が目まぐるしく変わる中、甲斐国は北
条氏と徳川氏の争奪戦となり、北条軍は御坂城を築城し、若神子城
にも兵を入れ新府城の徳川軍と対峙するので、笹尾砦には北条軍が
入っていたと思われる。



【遺構】
一の郭・二の郭を中心に、三・四・五・六の郭からなり、尾根上に並ぶ
連郭式の砦である。尾根は三本の堀切と一本の堀で区切られ、二の
郭の虎口は西にあり、一の郭へは西側土塁の外側を進めば虎口であ
る。一の郭の南側土塁から下りた崖に、釜無川対岸の鳥原砦へ急を
告げる鐘が掛っていたと言われる鐘釣穴があった。また、一か二の郭
か忘れたが、城の沢側へ下る道があり途中に沢を監視する物見台が
ある。


【左】六の郭(木立の所)を、北東の畑地から見たもの。堀切も見える。
【右】二の郭内部
【左】一の郭と二の郭を仕切る土塁(左側)と通路。先には二の郭が見える。
【右】一の郭の内部を南側から見たもの。
【左】一の郭の南側土塁。
【右】城の沢を睨む物見台。


【道】
国道20号線を甲府方面から向かうと、荒田交差点を右折して釜無川の橋を
渡り、崖上に上り切った辺りの右へ折れる農道を行くと右側に案内板があり、
右折して行くと駐車場がある。迷い安いので注意。