獅子吼城


形式 山城 【位置】前面に塩川が流れ、信濃川上へ通じる街道がを見下ろす。
年代 1394年〜1583年
城主 江草兵庫助信泰、後北条氏
遺構 石積み・土塁・堀切・空堀・虎口・郭
所在地 北斗市須玉町江草
訪城日 2014.6.26日



城の入口に設置されている案内板


入口から少しの所にある堀切と堀下り


虎口部分。正面の虎口土塁を廻されて虎口へ進まなけれならない。


虎口を入ると空堀の中を進む事になり、動きが制約されながら奥へと進まざるお得なく、その間に空堀奥と
上部の郭からの攻撃に晒される。


東側段郭群の一段。きっちり削平されて石積みも良く残っています。


東側の郭群を下から撮ったもの。


主郭の東側を撮ったもの。奥には土塁と岩を使った虎口が残り、現在は綺麗に草が刈られて良く見えるように
なっています。綺麗に削平され、正面(東側)には石祠と石碑があり、背後に土塁と外枡形虎口や段郭が
続いています。獅子吼城は江草氏の城と伝わり、『高白斎記』に小尾弥十郎が乗っ取った記述があり、天正壬午の
乱時では小田原北条勢が入り、これに対し徳川勢の服部半蔵と武田家遺臣等が夜襲により落城しています。




主郭の西側を撮ったもの。土塁の残痕と烽火の炉があり、その下には段郭群が続いています。


主郭南下の腰郭。幅は1m程。


石門の先には、出枡形と思われる小さな郭があります。


主郭の西下の郭。この後、雷鳴が近くでなり始めたので西側の腰郭を見れずに早々と下りて谷戸城へ向か
いました。