形式 | 山城 | 【位置】 駒ケ岳の裾から発生する尾根上にあり、芦ノ湖湖岸からは70m程の高さである。この稜線上に古道が通っていた事を思わせる。 |
年代 | 大森時代末〜後北条氏時代初期 | |
城主 | 大森氏・後北条氏 | |
遺構 | 郭・土塁・堀切 | |
所在地 | 箱根町元箱根 | |
訪城日 | 2007.6.20再訪 |
【歴史】 進士ヶ城に付いての詳しい事は不明であるが、遺構や位置的な事から、時代は小田原の大森氏時代と思われ、権威ある箱根神社の箱根権現別当(奥津城)に一族の証実など、数人を就かせているので、小田原城の支城として築城し、管理などを任せていたと考えられる。大森氏が北条早雲によって滅亡すると、別当には北条氏の一族が入り、少しの間使われたのではないか。 |
【遺構】 県道から下りて直ぐの所から遺構は始まり、畝を持った上段の堀切が迎えてくれる。三つの畝の内、中央の畝が高く両側のは、少し下にある。堀切を越えると両側が高い土塁が残り、主郭へ入る。主郭両側の土塁も低くなっているが、残っている。中段の堀切側の先端部は、崩れていて斜面になっており、堀切へ流れ込んでいる為、かなり埋没している。二の郭は主郭より低く、主郭側の土塁が少し見える程度で内部は藪がひどい為見れなかった。下段の堀切も埋没が著しく土塁痕跡程度になっているが、それと分かる。二の郭から先端の土塁までは、枯れた箱根竹が密生していて行く手を阻むが、下草は生えていなかったので遺構は確認出来た。堀切に畝がある事から、小田原の役時に北条氏が監視程度に入った可能性も秘めている。 |
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【左上】上段堀切の中央畝部分を、藪を切って主郭側から見たもの。 【右上】左上の畝を西側から見たもの。 |
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【左】西側の畝を中央畝寄りから見たもの で、見え辛いが木の根本にある。 今回はビデオ撮影が主体だった為に 他の写真を撮らなかった。冬の時期 はもう少し見通せると思うが・・。 |
【道】 県道75号(goo地図参照)を元箱根から湖尻へ向うと、箱根園ゴルフ場の先に見える尾根が城址で、駒ケ岳ロープウェウが尾根上を通っている。車はゴルフ練習場の駐車場へ置かせて頂くと良いが、受付で必ず了解を得て下さい。受付から道路をロープウェイの下まで行き、左へ尾根方向に入ると下る道があるので、ちょっと行くと左へ入る踏み跡を進めば直ぐに上段の堀切へ着く。 |