土肥城山


形式 尾根城 【位置】
湯河原市街から箱根の大観山へ繋がる尾根のピークにあり、尾根上を通る古道を抑える役割を持っていたと思われる。
年代 大森氏時代(室町期)〜後北条氏時代(天正18年迄)
城主 大森氏・後北条氏
遺構 郭・土塁・堀切・石積
所在地 湯河原町宮下
訪城日 2009.10.28
参考資料 箱根をめぐる古城30選



【歴史】
治承四年(1180)、源頼朝と石橋山の合戦で共に戦った土肥実平の城と言われているが、城の規模や遺構から、大森氏〜後北条氏の時代に当てはまると思われ、特に五郭から六郭・遠構までは天正十八年(1590)の小田原攻めの時に急普請された感じが残っている。



【遺構】
標高563mの尾根ピークに三角形の主郭を置き、東へ下る尾根筋が主攻方向で、下に向かって二郭・三郭・四郭・五郭・六郭が配され、主郭と二郭間、六郭とその先の陣場もしくは小屋掛けと思われる広場間に一条の堀切と、五郭と六郭間には二重堀切を設け、厳重に守りを固めている。更に広場の先に、遠構のL字に折れを見せる堀切と土塁が残り、見所の一つである。また、主郭から南へ下る尾根筋には主郭下に堀切と思われる地形と、尾根側に土塁地形が見られ、更に少し下ると石で区切られた様な郭がある。一方、搦手となる北尾根にも坂虎口を守る郭があり、下の尾根括れは堀切だったのではないか。


【左】バス停「シトドの窟」から来ると搦手側の郭へ入る。
【右】主郭を二郭側から撮ったもの。右奥が搦手。
【左】主郭の南直下にある堀切地形を主郭側から撮ったもの。
【右】左の堀切地形から更に下ると郭に出る。
【左】主郭と二郭の間の堀切を北側から撮ったもの。
【右】二郭の先端から内部を撮ったもの。画像には写っていないが、先端部右側に
   土塁が残る。
【左】三郭の先端から内部を撮ったもの。
【右】四郭の内部を三郭側から撮ったもの。奥の先端部に土塁の痕跡が残っている。
【左】五郭の南側土塁を撮ったもの。向かって左には櫓台が張出している。
【右】五郭と六郭間の二重堀切の五郭側を撮ったもの。黄色線が堀切で、先には土塁が
   見える。
【左】六郭側から二重堀切を撮ったもの。黄色線が堀切。
【右】六郭の内部。先には土塁の高まりが見える。
【左】六郭の先に掘られた堀切の南側を土橋から撮ったもの。ここが一番幅が広く、
   左側に土塁が残っている。
【右】遠構の土塁と堀切を中央の土橋から横矢を撮ったもの。


【道】
車では、湯河原駅前を通り奥湯河原へ向かい、椿ラインへ右折してバス停「シトドの窟」がある左ヘアピンカーブを右折し広いスぺースの端へ駐車する。左にある展望台の上を通る林道を進むと終点からハイキング道に変わり、城山まで15分〜20分で着く。