足柄城


形式 山城 【位置】相模国と駿河国との国境、足柄峠にあり、足柄道の監視と国境防備。
年代 戦国期
城主 後北条氏
遺構 郭・土塁・堀切・石積・堡塁・井戸跡・池
所在地 駿東郡小山町竹之下
訪城日 2013.1.30日



主郭と雪化粧の富士山を見る。富士山上空を旅客機が航跡を引きながら何機も飛んで
行くが、戦国期には麓からの進攻に備えて、万全を期していたであろう。
主郭西側の土塁。
主郭の今も水を湛える凍った玉手ヶ池。 主郭から堀切と二の郭、富士山を望む。
二の郭から堀切を挟んで三の郭を見る。 三の郭から二の郭を見る。当時の堀切はかなり深かったと思われる。
四の郭。東側から見る。 四の郭と五の郭間の堀切を東側から見る。この堀は随分埋まっている様だ。
五の郭から四の郭の城壁を見る。 の郭を東側から見る。
五の郭(右)外側の堀切とその外側土塁ライン(左)。 五の郭外側の堀切に付随する外側土塁ライン上には、堀切内に横矢を掛ける為の
堡塁が設けられている。
同じく五の郭の外側土塁ライン上の北東端にある堡塁。足柄城は、小田原攻めに際して
補強がされ、長い土塁ライン上に堡塁(火点)を設けて射程距離を補うなど、八王子城の
詰め城長塁ラインの五つの堡塁遺構や、韮山城南側の長塁ラインにある三つの堡塁状
遺構に似て、後北条氏最末期の城に採用された縄張りと言える。
六地蔵背後の堀切跡。