大仙山城(西原小屋)

新発見の城址
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形式 山城 【位置】
大仙山は、伊豆スカイラインが通る玄岳から西へ下る尾根の先端に有り、三島・沼津・韮山方面を見渡せる絶好の場所である。
年代 南北朝期〜戦国期
城主 畠山氏・西原氏
遺構 郭・腰郭・堀切・土塁・竪堀
所在地 静岡県函南町畑毛
訪城日 2012.12.5日、2013.5.22日、6月5日、7月3日、10日
参考資料 日本城郭大系・ふるさと古城の旅



山頂の主郭。


【歴史】
城郭大系には詳細を載せておらず、「畠山重忠の城との伝承があり、永禄年間、後北条氏の家臣西原源太が拠ったとも言われている」のみである。静岡古城の旅では西原源太の城として載せている。「増訂豆州志稿」に畠山重保の城址として、また永禄13年の武田信玄に依る伊豆侵攻に際し、この地の土豪である西原源太の西原小屋が攻められるが、源太の働きにより北条氏忠より感状を与えらた事が載っている。
【経緯】
2012年12月12日の最初の訪城により、主郭部・南尾根先の出郭・金毘羅宮の出郭を発見し、大仙山城として掲載しておりました。今年の5月に「中世城郭紀行」の鬼丸さん(静岡古城研究会会員)から、「東尾根に郭と堀切を発見し、西原小屋では?」との連絡を頂き、6月5日に二人で遺構の確認をし、更に新たな郭や北砦の発見に至りました。6月15日には静岡古城研究会によって調査が行われ、城郭遺構として発表されました。



【遺構】
駐車場奥のハイキング道から谷地形を九十九折りに登って行くと、途中右側に駐車スペースの様な所がある。奥には先端に岩がある小尾根が見え、この部分に石積らしき数個がある小削平地の平場が確認できる。そこから右斜め上へ続く獣道の様な道を辿ると尾根上に着く。そこから尾根を上ると直ぐ、二段に削平された郭に着く。ここは南と西へ下る尾根に対して造られている。更に登ると幅の狭い郭を経て竪堀を登ると途中の左側に傾斜した平場が三段あり、少しで主郭に着く。主郭は細長い尾根上を二段にした造りで土塁状に削り残しており、韮山城砦の天ヶ岳砦に似た造りである。東側や東南側には腰郭や土塁が明確に残っていて東側の細尾根には腰郭が二ヶ所あり、間には竪堀が見られ土塁やその下には低い切岸も残る。その下のは削平の甘い二段の段郭がある。東腰郭の北東下には舌状の大岩があり、ここも郭として使用されたと思われる。大岩を下りて行くと、左側に竪堀を伴った小郭を経て下にはかなり埋まった堀切があるが、尾根の括れを有効的に掘り切っている。その直ぐ下にはハッキリした長い堀切状の溝が南へ下っていて、手前の堀切と合流しているが段差が生まれており同時代の物とは考えられず、埋まった後に掘られた切り通し道と思われる。これを過ぎ尾根上の郭の先に土塁を伴った堀切があるが、南側は堀下っておらず不思議な感が残るが、この堀切は北の尾根からの通路と虎口を兼ねていたと思われ踏み跡もある。また、この堀切と西側の堀切との時代差も感じられる事から、複合的な遺構の可能性も考えられる。堀切から東に続く尾根を行くと途中の大きな石から突如発生する一部石積が使われた土塁があり、東のピークの北側縁に沿って盛られている。これは韮山城の付け城の本立寺付城にも見られる長土塁に似ているが、虎口状の切れ目やピークにも虎口が無く土地の境界線と思われる。
一方、主郭の西から尾根を下ると、金毘羅宮のある出郭との括れに下りるが、ここは二つの峰を区切る堀切として機能した様に思われ、鳥居の横には北下の先端に櫓台を備えた細長な郭から上がって来る道の虎口がある。金毘羅宮の出郭は、南へ下る尾根に対する構えとして位置付け出来る。
南北朝期に三津城や修善寺城・金山城で戦った畠山国清一族や、鎌倉期の畠山重保と関係があるのではないかとも思われるが、東側鞍部の堀切の一部が戦国期の遺構とすると、永禄13年の武田信玄による伊豆攻めの時や、天正18年の豊臣軍による韮山城包囲戦の際にも使用された可能性がある。

【大仙山西砦(仮称)】
西側に突き出た尾根は7月3日の短時間の調べで、縁に石積みらしき物を見出しておりましたが、7月24日の再訪に依り周辺等もを調べた結果、この尾根には自然の石が多く含まれている為、所々の縁に石が露出しており、自然の物と判断するに至りました。

※2013.6.5日に再々訪をし、新たに大仙山城の郭や大仙山北砦(仮称)を発見するに至り、大仙山を中心に広い範囲に城郭遺構がある事が分かりました。6月15日には、静岡古城研究会によって大仙山城から東隣のピーク、大仙山北砦まで調査が行われました。


【左上】主郭から南尾根を下った先にある郭。埋没しているが、三段程に削平されている。
【右上】主郭の下段で、腰郭状になっている。左上の郭と似た造りとなっている。
【左上】主郭を東側から撮ったもの。奥の右側が高くなり、左側に上写真の腰郭がある。
【右上】主郭の南から下る竪堀。
【左上】主郭東側の腰郭。幅2m程で左が主郭。奥の北側には土塁の痕跡があり、南側の腰郭には尾根に
     対する土塁が残っている。またその下には埋まった切岸と二段の削平の甘い郭がある。
【右上】東腰郭の下に突き出る大岩の平場。
【左上】左上の大岩から更に下った所には片堀切を伴った小さな郭と堀切があり、その直ぐ下には切り通し道が通るが、
     北側は崩落したのか道跡は無くなっている。
【右上】鞍部東側の堀切と土塁。この堀切は、北側へ伸びる細尾根の郭への虎口としても使われていたと思われる。
【左上】堀切から東へと尾根を進むと、大石から隣のピークの終り、林道まで続く土塁。天正18年の豊臣軍による
     韮山城攻めに際して構築された付け城遺構の可能性がある。
【右上】主郭と出郭(金毘羅宮)との堀切。
【左上】金毘羅宮の出郭を東下から見たところ。
【右上】出郭内部。岩盤を削って削平された様である。周囲には石積みが回っているが、これは後世の物と思われる。
【左上】金毘羅宮の出郭から北へ下った所にある、先端に櫓台を伴った郭。
【右上】櫓台から細尾根が二手に分かれ、右へ下った途中に計5段程の郭が見られる。写真は3段の郭で、この下に
     大仙山北砦がある。


【道】
車で大仙山城へ向かうお勧めの方法は、県道136号線から東へ入り「旅館つるみ」を目指します。前の道をを北へ150m進み、道幅が広くなった所の山側へ路上駐車し、徒歩で「旅館つるみ」方向へ戻る。道幅が狭くなって少し進むと左側に大仙山入口の表示がある細い道を進む。切通しを過ぎ、真っ直ぐ行くと下の写真の所へ着くので、右へ進めば大仙山の駐車場に着きます。奥の道を10分程登ると正夢観音堂へ着き、更に観音堂の裏から続く道を10分程登ると金毘羅宮の鳥居に着きます。
★7月3日の訪城時に、南尾根を下った郭に新しいゴミが捨てられていました。訪城される方は小さなゴミも持ち帰る様、よろしくお願い致します。