大仙山北砦


新発見の城址
静岡古城研究会HPへ

形式 山城 【位置】
大仙山城の金毘羅宮の出郭から北へ少し下った細長い郭の先端から尾根が左右に分かれるが、右尾根を下った所にあります。
年代 南北朝期〜戦国期
城主 不明
遺構 主郭・二の郭・帯郭・堀切・虎口・石積・水の手・木材穴・石列
訪城日 2013.6.5日、7.3日、7.10日
所在地 田方郡函南町畑毛


【経緯】今年の6月5日、「中世城郭紀行」の鬼丸さん(静岡古城研究会会員)とご一緒し、発見した大仙山城(西原小屋)の遺構確認に於いて、新発見した城址です。6月15日には静岡古城研究会によって調査が行われ、城郭遺構として発表されました。


イメージ図(実測図ではありません)

主郭の広さは長さ15m、幅は広い所で5.4m、二の郭は長さ16m。
主郭の北側帯郭の幅は7.5m、竪堀が五本ほど、腰郭が五ヶ所ほど
あります。

【遺構】
北砦を発見した後に砦の麓で江戸期に庄屋さんであった立派なお屋敷を突き止めた。土豪の屋敷構えに相当するので、戦国期から続く事も考えられ、根小屋の関係にあった可能性がある。城の規模は小さいが技巧的で腰郭・竪堀・石積みも使われており、ベースは古い様であるが時代を重ねて手を加えて行った様で、遺構は戦国期まで下ると思われ、城主の城への思いが伝わって来る。全体的に遺構は良好な状態で残っていて、水の手は埋没も少なく見事である。この城の背後は大岩が立ちはだかり、これと堀切で遮断されているのが特徴です。
この堀切の大岩には丸や四角の穴が開き、堀切内に門を設けていたと推察出来ます。
主郭が最高所で、先端には櫓が想定され、背後に二の郭が繋がっていますが、高低差は殆ど無い。これを馬蹄形に囲む様に帯郭があり、西側は三段程の段差を持って堀切へ向かう。帯郭の北側突端は少し出張り、その東側には水の手への虎口があり、腰郭や崩れ止めの石積が下方まで散見出来る。そこを下ると平場に、二段と奥に一ヶ所の立派な水の手が残っており、水の手背後には石列も見られる。一方、北の帯郭下方には二段の腰郭を備え、北側には竪堀も見られる。腰郭から更に北へ下ると6m程の極浅い堀切が埋められた様な窪みを過ぎると、両側に小さな平場と二辺に土塁の痕跡が残る郭があり、出郭と思われる。



帯郭から主郭先端の櫓台を撮ったものです。高さ1.5m程でしょうか。


主郭側から帯郭先端を撮ったもので、右側に虎口があります。

【左上】城址全体を撮りましたが、木や藪が多く良く分かりませんね。
【右上】大岩の直下に残る堀切。大岩の側面に四角い穴が二つ掘られているので、門跡と思われます。
【左上】二の郭から主郭方向を撮ったものです。主郭との段差は50cm程しか有りません。
【右上】二の郭から主郭への、石と石との間の虎口。
【左上】主郭の内部を先端に向かって撮ったものです。幅5.4m程で、狭いです。
【右上】帯郭の北側部分です。左側が主郭の城壁で、高さ2m程。
【左上】櫓7の東斜面に残る石積の一部です。
【右上】東側に残る水の手と思われる施設。上段と下段に分かれ、上段は直径3m程の石積で囲われた穴。
【左上】同じく上段の穴に更に掘られた穴。下段へ繋がっている。
【右上】下段の水の手を上段から撮ったもの。台形型に掘られ、石積で囲われており、中には石列が左手前から、
     右奥へ残っています。城の規模からして立派な施設なので、元は沢を利用した小さな水の手を時代が
     経つ毎に手を加えて行ったのではないか。
【左上】北側帯郭の下方に残る腰郭。更に北へ下ると出郭と思われる小郭がある。
【右上】藪で分かり辛いが、しゃがむと土塁の盛り上がりが分かる。


【道】
大仙山城のページで車を置いた所から徒歩で北へ向かい、直ぐの十字路を右折し5分ほどで正法院の駐車場に着く。この直前(沢の手前)を右藪へ入り、尾根を直登すると出郭へ着く。正法院への駐車は避けて下さい。また、ゴミは小さな物も必ず持ち帰って下さい。よろしくお願い致します。