土手和田砦


形状 山城 【位置】
韮山城の直ぐ南にあり、韮山城の支城である。
年代 延徳三年(1491)
城主 北条氏規
遺構 郭・畝掘・土塁・縦堀
所在地 伊豆の国市韮山町土手和田
訪城日 2007.9.26/2008.1.26
参考資料 戦国の堅城U



【歴史】
延徳三年(1491)、北条早雲が伊豆を平定し韮山城を築城した後に、支城として土手和田砦を築いたと思われる。当初は現在の様な複雑かつ大きな規模ではなかったのではないか。天正十七年(1589)からの大改修に依って今残る縄張りが出来上がったと思われる。翌年の韮山城籠城戦では、この砦が開城まで残っていたかは不明である。





【遺構】
主郭から北側の三郭程下までは藪がひどく、内部の形状が殆んど分からない。北先端の祠のある削平地と上の三角形の郭までは見れる。南側は畝掘から下の神社までは藪が少なく遺構が良く分かる。南側の神社へ向う参道を上ると小さい腰郭が一段あり神社が建つ削平地に着く。更に細い山道を上ると腰郭と二段の段郭を過ぎると西側に土塁のある郭へ入る。北西には一段高い小郭が残り、上がると土塁で左右に分かれていて狭く、居場所が殆んど無い。そこから主郭側を見ると下にL字型の畝掘が見える。畝堀はもろい岩盤を掘り込んで造られたものである。中央の畝を渡り、踏み跡を上ると主郭へ着く。


【左上】城址の南側から上り、神社の上にある段郭。
【右上】神社上の郭に残る西側土塁。
【左上】畝掘の堀底から西側の畝と小郭(左)を見たもの。
【右上】左上画像の畝をアップで撮ったもの。
【左上】北東側の畝を見たもの。石積に見えるが、もろい岩盤である。
【右上】主郭の南から主郭の城壁を見たもの。


韮山城砦区分図

【道】
韮山城の東側にある城池の東側駐車場に車を止め、城池南側へ続く道を歩き、切り通しを過ぎ道なりに進むと右手に韮山中学がある。土手和田砦の北側先端部に着く。
北側尾根に上るには、畑横の斜面に祠へ登る山道がある。南側の神社から上るには、そのまま進みT字路を左折しまた左折して細い道路を和田島砦に沿って行くと、左にスペースがあり、民家の手前の細い道を左へ入り階段を上ると神社に着く。階段をスイッチバックのように踏み跡を上ると畝掘、主郭へ行けます。