箱根古城(仮称)


平安鎌倉古道を押さえる城

この古城址は「静岡古城研究会」
によって発見されたものです。


今回、会員の南武さんから情報を得て訪城しました。

形式 尾根城 【位置】
箱根峠から三島へ下る箱根旧街道の北西に、平安・鎌倉古道が下っており、古道の途中にある。
年代 南北朝時代〜天文十四年頃
城主 大森氏・後北条氏
遺構 関所・郭・土塁・堀切・虎口・横矢
所在地 三島市の芦ノ湖高原別荘地内
訪城日 2008.3.18/3.26



主郭から二重堀切を見たもの。二の堀切(中央)・
中間土塁(中央)・一の堀切(奥)が見える。

【歴史】
鎌倉時代の東海道は箱根湯本から湯坂道を通り、芦ノ湖湖畔の元箱根に出てから箱根峠付近の海の平を越え、元山中、三島大社へと下っていた。この古道は箱根旧街道の西に並行して通る平安・鎌倉古道と呼ばれている。城は、この古道を監視する目的で築城された境目の城と思われる。応永年間以降に大森氏が箱根地方を手中に収めると、箱根を通る道路網を押さえ、関所を設けて関銭を徴収するようになる。この古城は関所を兼ね備えており、その一つであろう。大森氏の後に北条氏が引き継いで使用し、天文十四年(1545)に上記の鎌倉古道の東を通る箱根旧街道を押さえる為に山中城を築くと、この砦の役割も終わったと思われる。江戸期に入り箱根旧街道が整備されると、鎌倉古道は廃れて行った。



【遺構】
平安・鎌倉古道を三島側から登って来ると左側に城址が見える。古道は城の側面を通るので、終始監視される。道はS字に曲がり虎口へと入るが、左側のL字の土塁を備えた郭と、右側の土塁とで挟まれ狙われる。 江戸時代の関所とは違い、虎口で進攻を阻止しようとする構造なので戦国期を感じる。この右側土塁の手前下には谷が入り込んでおり、ここから上る敵兵に対して三段の段郭を備えている。虎口を入ると右側に土塁の切れ目に平場があり、下の谷側には箱根口まで土塁に沿って二段の腰郭が見られ、水の確保用に谷川への道も下る。逆に古道を箱根峠側から下って来ると、城の手前に自然の谷間に架かる土橋があり、関所の門までの間に城山の腰郭からと、門の櫓からの攻撃にさらされる。城山の遺構は二重堀切を挟んで、三島側と箱根側に分かれる。
三島側は、尾根を利用した暖斜面の細長い郭で,途中から関所側に土塁の痕跡の様な盛り上りが見られ、先端に馬蹄形の腰郭を二段備えている。
箱根側は、堀切側に土塁の痕跡が残る方形の主郭と横矢を持つ副郭が二面に付属しているが、北面は暖傾斜している。また、主郭と副郭との段差はあまり見られない。副郭下には腰郭が付属し、中央辺りには土橋方向へ下る城道が下っている。
★南武さんのページ「古城を歩く」、馬念さんのページ「馬念の城跡探訪」にも詳しく載せられています。


【左上】箱根峠側から土橋を見たもの。正面が城山。
【右上】関所部を箱根峠側から見たもの。左側に土塁が見え、奥に三島側の虎口がある。
【左上】関所部の三島側虎口を、関所内部から三島側を見たもの。道がS字を描いている
     のが分かる。
【右上】関所部の谷側に残る郭。
【左上】一の堀切を主郭側から見たもの。
【右上】一の堀切を関所側の横から見たもの。
【左上】二の堀切を横から見たもの。
【右上】二重堀切の中間土塁。
【左上】主郭を堀切側から見たもの。
【右上】主郭の堀切側土塁を横から見たもの。痕跡程度に小さくなっている。
【左上】三島側の先端腰郭内。
【右上】三島側の先端腰郭を古道を挟んで隣の尾根から見たも
    の。古道に対して横矢が掛かる。


【道】
国道1号線の箱根峠信号を三島側へ下りると、直ぐ右に[箱根エコパーキング」があり、その先を「芦ノ湖カントリークラブ」へ右折して向う。道なりに行くと、左に箱根旧街道の入口がありますが、更に進むと【左上写真】の案内板があるY字路を、左の「高原別荘地」へ行きます。道なりに進むとY字路になり左へ、直ぐのY字も左へ行くと左側に平安・鎌倉古道の入口【右上写真】があります。車1台の駐車スペースがあり、路駐もできます。迷ったら別荘地の地図で、番号C-30の別荘を探せば古道入口は前です。古道を100m程歩くと土橋と城址に着き、気配で直ぐ分かると思います。