丸子城


形式 山城 【位置】標高142mに位置し、城址の南には丸子川が流れ、旧東海道が通る要衝の地に有る。
年代 永禄11年(1568)12月〜天正10年(1582)
城主 武田家山県昌景、徳川氏
遺構 郭・土塁・空堀・堀切・虎口
所在地 静岡県静岡市駿河区丸子
訪城日 2012.5.23・8.22日
参考資料 静岡県の城跡・静岡古城の旅・東国の中世城郭


【歴史】
今川氏時代の丸子城に付いては詳らかではなく、当時の丸子周辺は斎藤加賀守安元の所領地でしたが、斎藤氏が丸子城を管理していたかも不明です。永禄11年(1568)12月、武田信玄は今川領の駿河へ侵攻し、今川氏真を今川館から掛川城へ追い出すと家臣の山県昌景を丸子城へ入れ、守備させています。翌年12月には変わって、室賀兵部・関甚五兵衛が入る。長篠の合戦・設楽原の合戦の後、徳川家康の西駿河への攻勢が天正7年頃から強まり、丸子城南東の用宗城が徳川勢に落とされると、武田氏は丸子城の大改修を施したと思われます。その後、用宗城は武田方に帰しますが、天正10年(1582)2月には、織田信長の武田攻めに呼応した徳川勢によって用宗城が再度攻め落とされると、丸子城の城兵は逃げてしまった様です。その後は徳川氏の持ち城となりますが、現在の遺構のまま廃城になったと思われます。



【遺構】
丸子城は武田氏末期の遺構が良く残り、規模は東西500m×南北300m以上になります。
「匠の里」前から城址へのハイキング道を15分程登ると、尾根途中の両側に横堀を見ながら外郭(駐屯地)21に着く。ここは北側を一段低くして、北方面に備えているのが分かる。外郭を進むと上りになる右側に三段の狭い腰郭があり、左側は右へカーブする小型三日月堀?で、その先のL字空堀16との喰い違いになっており、大手を厳重にしている。直ぐに良く残っているL字空堀の外側土塁上に出るが、右へ進むと土塁上を進む事になり、大手郭7からの必要な攻撃に曝される。左には土橋が掛り、大手郭7の虎口は目前であるが、容易には突破できないであろう。大手郭には空堀16に沿って土塁が残り、奥の右側には微高段差が二段見られ、竪堀18で斜面の移動も制限される。6の郭は枡形虎口を用いており、四石の石列が地表に確認できるのと、郭に食い込ませた竪堀18から上って来ようとする兵に対して、正面の土塁と横矢掛りが用意され、小技の効いた縄張りとなっている。北郭5は虎口がやはり南側にあり、尾根分岐のピークに位置し、北に分かれる尾根側には土塁上に見張台を設けて射界を広く取り、土橋を伴う堀切17で遮断している。一方、二の郭2側の南には主郭から南東尾根に連なる郭群14への連絡道の虎口を有し、敵の動向に応じて兵の速やかな移動を可能にしている。郭4とは土橋を伴う堀切17で遮断されている。4の郭から二の郭2内に入り、3の郭共々土塁を備え、堀切まで来た敵に小郭ながら先ずは二段での対処となる。先には西側に土塁の痕跡が残る長方形の二の郭2が控え、南東端には主郭前面の枡形虎口22へ掛かる橋台が張り出している。北郭5から二の郭2までの西側には長大な横堀16が並行し、この外側には堡塁8や三日月堀、左右を堀落としたS字土橋9、喰い違い虎口10を伴う土塁が付随しており、技巧的で見所の一つである。二の郭と主郭間の堀切は、堀底を西下のS字土橋9や喰い違い虎口10、横堀16に向けた郭(銃座)と捉える事ができる。
主郭は東西30m×南北55mで、三ヶ所に虎口が良く残り、それぞれ外枡形虎口・喰い違い虎口・平虎口と、虎口の展示場の様である。主郭の守りは厳重で四隅を張り出させ、側面に横矢を掛ける意図が伺える。三方向には尾根が派生し、北東尾根は六段の郭群14と竪堀を備え、下段郭には石の多い地盤を削り、竪堀に備えた土塁や石積みの虎口も見られる。南へ下る尾根は三段の小郭と堀切と竪堀でカバーし、一方の西へ下る暖斜面で広めの尾根には、Y字の馬出し的な腰郭11と二段の横堀16・三日月堀13を伴った丸馬出し12・長大な竪堀18・19で堅固な守りを見せる。竪堀19と三日月堀13、横堀16の交差点も見所。
城址全体の良好な遺構を見ると、廃城になってから400年近く経つとは思えない程で、草木さえ切って木柵を構えれば、直ぐにも武田流の城に籠れそうである。


【左上】大手郭7の東から北に折れるL字空堀の北側。
【右上】大手郭の虎口(手前)から郭内部を撮ったもの。右側には土塁と竪堀が残るり、奥には枡形虎口
    が控える。
【左上】6の郭の枡形虎口。中央右寄りに四石の石列が顔を覗かせる。
【右上】同じく6の郭を北郭5から撮ったもの。手前左には竪堀が下り、郭の形状が良く分かる。
【左上】北郭5を4の郭側から撮ったもの。手前には堀切と土橋が見える。
【右上】S字土橋9を喰い違い虎口10から見たもの。ここは虎口手前のキルゾーンと思われ、二の郭2・
    堀切内の郭15・主郭1・腰郭16・虎口土塁10から集中攻撃される。
【左上】堀切15を主郭側から撮ったもの。奥が二の郭2で、左には堀切内に設けられた土塁と下方に
     横堀が見える。
【右上】堡塁8を郭4から撮ったもの。手前が横堀で、半円状なのが分かる。
【左上】三日月堀8を堡塁上から見たもの。武田氏の城を実感できる遺構である。
【右上】堡塁8から二の郭下に掘られた横堀16を見たところ。少しカーブしているのが分かり、途中に
    小さな横矢がある。
【左上】主郭1の外枡形虎口を郭内から撮ったもの。良く残っている。
【右上】三日月堀13(左)と長大竪堀19との分岐点。堀間には土橋が掛かり、手前では横堀と
     三日月堀13が
    交わっており複雑な縄張りになっている。
【左上】郭群14の下方の郭には、石の地盤を削った竪堀に対する土塁と、虎口に石積みを使った遺構が
     残っている。
【右上】14の郭(右)と横堀16を見たもの。奥には腰郭11が張出して横矢を掛けている。


丸子城部分図



【左上】攻城兵の視点で、S字土橋の手前から虎口土塁を見る。
【右上】攻城兵の視点で、S字土橋の途中から虎口土塁と門を見る。
【左上】城兵の視点で、虎口土塁からS字土橋を見る。
【右上】城兵の視点で、虎口土塁背後に控える馬出から、S字土橋、横堀、を見たところ。援護射撃を想定出来ます。
【左上】S字土橋と虎口門から堀切9を見る。門を抉じ開けようとしていると、背後から狙われます。
【右上】堀切9から、土塁上と横堀内の射界(北方面)です。


【道】
国道1号線の丸子ICから匠の里へ向かい、匠の里の有料駐車場へ置く。
匠の里を過ぎた左側に城址へのハイキング道があり、15分程で着く。