三津城北砦(仮称)



形式 尾根城 【位置】
三津城がある発端丈山から北へ下る尾根のピークに位置し、北へ三津新城・長瀬、西へ長浜との古道が分岐している。
年代 後北条氏時代か
城主 後北条氏か
遺構 郭・土塁・堀切
所在地 伊豆の国市長瀬


【歴史】
康安元年(1361)に畠山国清が鎌倉公方足利基氏に離反し、弟の義熙が籠もったとされる三津城は、縄張りが単純な発端丈山山頂部と思われる。この北砦は縄張りからして前者より時代が下ると思われ、ここより北側にある三津新城と同時期に築城されたのではないか。



【遺構】
三津城から向うとハイキング道が尾根の右側を通り、先ず堀切にぶつかる。堀切はT字型をしていたと思われ、左へ下りると一文字土塁の痕跡が見られるので左右に分かれていたのではないか。二の郭と主郭は屈折した土塁で区切られており、南西の土塁の切れ目が主郭への虎口と思われる。二の郭が主郭より少し低く南東側は直線で削ぎ落とされている。主郭の西側は三角形に切られ、下に腰郭が付属しているのが分かる。坂虎口にまた北側の三津新城へ下る古道の左右にも腰郭が二段程備えられ、坂虎口を形成している。 長浜から登って来る本来の古道は三津新城側の腰郭へ回り込み、新城側の道と合流してから虎口へ入ったと思われ、道の痕跡を途中まで追える。城域は25m×15m程で小さいが、T字堀切や、堀切が腰郭に変化する所、屈折した土塁等が見所である。三津城から三津新城へ続く尾根上には神奈川県の足柄城砦に似て、大小の城砦遺構が五つ間隔を狭くして並んでいる。


【左上】三津城から向うと堀切に出会う。奥が二の郭。
【右上】二の郭から堀切の中央部を見たもの。土橋状に盛り上がっている。
【左上】T字堀切を城側の横から見たもの。右側に土塁の痕跡が分かる。
【右上】二の郭の南西隅部分を主郭虎口から見たもの。
【左上】主郭を北側から見たもので、土塁が中央左から木の所で斜め右奥に屈折
     している。
【右上】北の三津新城から主郭へ登るみち。腰郭が二段付属し道の左右で段差が
     出来ており、三津新城の主郭北側へ下りる腰郭の配置と似ている。
【左上】三津新城側へ少し下った所には、三角形の削平地が見られる
     小ピークがあり、物見を兼ねた番所程度の施設があったようだ。
【右上】左上写真の削平面。人為的に削っている事が分かる。


【道】
車で行くには益山寺へ上る道の途中に広くなる場所があるので、ここに車を置き、徒歩で15分程益山寺まで上り、寺の奥の院横からのハイキング道を行く。直ぐに四差路になるので、右下側の道を辿り三津城の発端丈山を目指す。益山寺から30分程で着く。発端丈山山頂から北へ5分程道を下った2つ目のピークにあります。