長浜城


形式 海城 【位置】
三津城がある発端丈山から下る尾根の先端が、内浦湾に突き出た岬にある。
年代 天正七年(1579)頃から
城主 梶原景宗・大川兵庫
遺構 郭・土塁・堀切
所在地 沼津市内浦長浜
訪城日 2010.7.21日
参考資料 ふるさと古城の旅・現地案内板



【歴史】
長浜城の築城時期は分かっていないが、古文書に頻繁に城名が出てくるのは、天正七年からの後北条氏と武田氏との駿豆国境抗争からである。同年十一月に、北条氏政が地元の農民に船溜りの普請を命じている。また同十二月には、梶原備前守景宗を長浜に派遣しているので、この時期に築城されたのではないか。天正八年の春に、北条、武田水軍の海戦があり、長浜からも梶原氏が出船し、主だった船大将も参戦したが、その日の夕方には引き分けで終わっている。天正十八年(1590)の小田原の役では、北条氏は小田原に籠城を決めた為に長浜城は城主を失い、在地武士の大川兵庫が守っていたが、同年三月二十日に内浦に係留されていた七艘の船を東伊豆の伊東へ回送を命じている。




【遺構】
以前まで三井家の別荘があった為に、堀切が埋められたり石積みやコンクリートが造られたりと改変された部分はありますが、遺構は良く残っています。内浦湾へ突き出た腰郭群と淡島の風景は城址で一番の見所です。


【左】四郭と堀切(手前)。ここは改変されておらず、当時の面影が残っています。
【右】四郭と三郭間の堀切。左が四郭側。
【左】三郭を南側の土塁上から見る。
【右】二郭から三郭間の堀切(手前)と、三郭の南側土塁を見る。
【左】主郭の土塁上から二郭を見る。ちょうど、発掘調査の掘り起こし作業中で、一部を復元するそうです。
【右】主郭と淡島を見る。内浦湾の穏やかな海と、それに浮かぶ淡島はとてもマッチしています。
【左】主郭から湾に下る尾根には、四段の腰郭が綺麗に並んでいます。
【右】左画像を下から見たもの。伊豆市の大見城に似ていませんか?

【道】
県道17号線で三津シーパラダイスを目指す。それを過ぎ、更に西へ走ると右側に小山が見えるので、それが城址です。車は城址手前の道路右側に内浦漁協の駐車スペースがあるので、そこへ止めさせてもらい、城址手前を右の釣り堀へ入れば案内板・トイレ・登城口があります。