根府川城



形式 尾根城 【位置】
根府川の西方、993mの白銀山から発生し、海岸線まで下る尾根上に位置している。戦国時代以前から、この尾根上には白銀山を経て早川や伊豆方面へと続く関白道に接続する古道が通っていた。
年代 戦国時代
城主 後北条氏(大藤与七)
遺構 土塁・郭
所在地 小田原市米神・根府川
訪城日 2007.5.2 5.30
参考資料 小田原市史別編城郭



A区の郭内。正面奥に櫓台と左奥が虎口。
左端に北土塁と右奥に南土塁が見える。



主郭の櫓台がある角と虎口(左)を見たもの。
櫓台はかなり低くなっている。


【歴史】
根府川城の築城は、小田原の役間近になってからと思われる。
天正十八年(1590)の小田原の役で豊臣秀吉は、三月二十九日〜四月二日までに箱根諸城と根府川城を落城させており、四月二日付の前田利家・上杉景勝宛の『豊臣秀吉書状』には、「山中城即時攻め崩し、鷹ノ巣城明け退き、足柄城・根府川の城、二ヶ所逃げ退き・・」と記述がある。この時に守っていたのは大藤与七で、天正十七年(1589)十二月十一日に北条氏より、熱海の伊豆山への陣取りを命ぜられ、その後に豊臣軍の来攻が決まると、根府川在城となっていた。四月二日には、小田原城へ退いたようである。



【遺構】
遺構は、A・B・C区に分けられる。
(A区):広さは東西約80m、南北30〜40mで、東側は虎口と思われる開口部に櫓台地形が残り、その下には尾根下りの段郭群、北側には土塁が残っていて、B区へ曲る所には、つぶて石とも思える大きさの揃った石がまとまって見受けられる。南側は、土塁が東から西尾根へと70m程続き、下に古道を監視するように二段の腰郭を備えている。
(B区):東地区と西地区に分かれていて、ヤグラヤマの南斜面に位置し、間には溝状の山道とB区側には土塁が盛られて区切られている。東地区は暖斜面になっており、西地区との間に虎口らしい土塁が残る。西側は西へ行くほど溝状になり、尾根へ上っているので、搦手と思われる。また溝の岸から発生する土塁の痕跡が残っているので、C区と区切られていたようだ。
(C区):城地の西側に位置し、暖斜面となっている。西側には、尾根を削り込んだ方形で武者隠しの様な空間が見られ、尾根へ抜ける道が掘られ、ここも搦手と思われる。南側には、A区から続くと思われる土塁と、空堀が残っている。西側では三本の古道が尾根で一本に合流し尾根上方へと延びている。尾根では古道の溝が深く残っているので、相当の通行量があったと推察出来るので、根府川城は「箱根峠の古城址」と同じく、古道を押さえる関所を兼ねていたように思えてならない。


【左上】A区の南土塁を南側から撮ったもの。左の削平地は腰郭。左下に古道が通る。
【右上】A区の東側斜面に残る段郭の一部。
【左上】A区の北土塁を西側から見たもの。中央奥が虎口。
【右上】C区にある、武者隠しと思われる6m四方程の地形。
【左上】C区南側の空堀跡を、西から見たもので、左側が土塁。
【右上】B区西側から尾根へ続く古道の虎口から城内(C区)を見たもの。カーソルを当て
     ると逆。
    
【左上】根府川城から西へ上る尾根に残る古道の堀割地形。右側には【右上】写真の土塁が
     並行して盛られ、熱海方面からの敵の来攻に備えていた。


根府川城の尾根上方にある「武者隠し」遺構か





【遺構】
根府川城のある尾根を白銀林道から上方へ登って行くと、根府川城から堀底道(古道)が続くが、途中に二ヶ所のクランクがあり、尾根のテラスに出る手前から堀底道は二手に別れ、左へ進むと、2辺を土塁に挟まれるような形で15m×7m弱程の削平地が見られた。ここは、「小田原市史別編城郭」に載る、「根府川村絵図」に記載の「武者隠し」の位置の辺りで、根府川城関連の遺構と思われる。テラスでの土塁は北側に比べ南側(真鶴方面)の敷き幅が広く、一段下がって溝が二段残っている。古道はテラスの下方で別れているが、右側は江戸時代の小田原藩主大久保氏の検分道と思われ、一方武者隠しから下る道は、出撃道と思われる。西へ続く尾根は急斜面で上っており、更に上のテラスの先まで古道跡が九十九折に続き、途中で藪が酷くなったがまだ奥へと続いていた。
根府川城や武者隠し以外にも絵図には、田代堀切・ほその台堀切・梅ヶ山堀切・御別当堀切・にごし山堀切・くらほね堀切・桧山堀切などの堀切が付く字名が多く記され、弾正河原も含め江戸期に「氏直の構」とされていた。

【左上】白銀林道から上方の尾根テラスへ続く古道の堀割地形。
【右上】尾根のテラスへ上る直前の堀割地形。獣避けネットが張られている所からが少し
     右へ折れるとテラス。
【左上】郭内から東開口部を見たもの。下っているのが分かるが、坂虎口があったものか?
【右上】西側から郭内を見たもの。奥には左上写真の開口部が見える。
【左上】東側から見た内部。ここだけが広くなっている。
【右上】南土塁から郭内と西開口部(左)・北土塁(右)を見たもの。
【左上】郭内と北土塁を見たもの。上の【右上】と連続写真。
【右上】郭内と南土塁を見たもの。
【左】尾根上方へ更に続く古道跡は九十九折
   で急斜面を上って行く。


【道】
小田原方面から国道135号を、JR根府川駅方向に旧道へ入り、根府川駅前を過ぎて少し行くと、右へヒルトン小田原方面へ上る。1つ目の右カーブを真っ直ぐ進み、「小田原城カントリー倶楽部」の看板に沿って道なりに白銀林道へ向って登る。白銀林道へ合流して少し行くと、T字路になる。「小田原城カントリー倶楽部」は左ですが、直進の砂利道を進み、ゲートを過ぎて道なりに行くと、右側に駐車プペースがある先に、尾根の切通しが見える。車を置き、林道より右側の尾根を下りて行くと、古道跡と思われる尾根の溝が、Y字に分かれるので右溝を下りると、C区の武者隠しに入る。

尾根上方の遺構へは、林道の左へ上って行く尾根を行くが、林道からはコンクリート壁があり上れないので、林道を少し歩くとコンクリート壁が低くなった所を直登し尾根上に出ると、堀底道が遺構まで続いており、テラスになった所にあ
るので直ぐ分かる。


梅ヶ山堀切へ