大平新城



形式 尾根城 【位置】
大平山から大平古城のあるピークを経て、狩野川へ半島状に突き出た先端部に位置する。
年代 元亀年間
城主 遠山民部・北条氏
遺構 郭・障子堀・竪堀・堀切・井戸
所在地 沼津市大平
訪城日 2009.2.28
参考ページ 南武さんの「古城を歩く」


【歴史】
大平古城に関しての古文書等は発見されておらず、詳細は分かっていない。永禄十二年(1569)に、今川氏真が北条氏を頼り、戸倉城へ入ると、元亀元年(1570)より武田軍が戸倉城及び韮山城周辺を脅かし始める。この頃に北条氏によって築城されたと思われる。天正九年(1581)、武田軍が狩野川を越えて戸倉城を攻め落とすと、北条方は韮山城を守る事と戸倉城を奪還する為に、戸倉城の付城として大平古城と共に使用したと思われ、連携していた事であろう。城は当初、北条氏家来の遠山民部であったが、後に北条氏尭に代わり戸倉城の奪還に成功している。



【遺構】
円教寺の駐車場から尾根の鞍部へ上がると、反対側へ農道が下る堀切推定地に出る。右の墓地のある先端の小丘が出郭4。左へ上って行くと数段の墓地が二の郭2址と推定できる。主郭1の手前の右斜面には竪堀の障子堀6が残っている。主郭1は平に削平され、土塁は無いが、東側に竪堀が見られ、三の郭3側は腰郭が付属する。三の郭3は主郭程の広さであろうか。背後に続く尾根側に堀切と思われる溝と、その尾根側に二段の削平地がある。更に背後の尾根を上ると小郭9が二ヶ所あり、更に登ると物見台11の裾を通り背後の堀切側へ出るが、道が無いので直登である。
物見台11から堀切12を越えて進むと、斜めに二段に削平された砦址と思われるピークに着く。背後には土橋を伴った堀切があり、西側は竪堀状に下っており、上がって来る敵兵に対して堀切を挟んだ両側に腰郭を設けている。
一方、物見郭10には七面大明神が建ち、向かって右側には大岩があり上も平場になっているので、郭として使用したであろう。社殿背後には腰郭が一段残っている。新城から古城までの尾根ピークに小郭や小砦・堀切を設けるパターンが、三津城と三津新城間にも見られ、興味深い。


【左】二の郭推定地2から見た出郭4。
【右】障子堀6。三・四段程あろうか。
【左】三の郭3から見た主郭1。案内板もある、三段程の腰郭が見える。
【右】主郭1の内部を二の郭推定地側から見たもの。中央には塚もしくは石を集めた
   土盛がある。
【左】主郭に残る竪堀7遺構。
【右】三の郭3。奥が主郭1。
【左】物見郭10。社殿背後に腰郭あり。
【右】尾根のピークにある物見台11。
【左】物見台11の背後にある堀切を物見台側から見たもの。
【右】13の砦?址と思われるピークを堀切側から見たもの。二段に削平され、堀切や腰郭も
   付属する事から、大平古城側に備えた砦ではないか。
【左】13の砦?直下の堀切を、砦?側から
   見たもの。

大平古城


形式 山城 【位置】
大平山から狩野川へ向かって突き出た半島状の尾根ピーク(標高140m)にあり、戸倉城・出城山砦を見渡せる位置にある。

年代 元亀年間
城主 遠山民部・北条氏尭
遺構 郭・櫓台・土塁・虎口・堀切
所在地 函南町下ノ谷戸・沼津市吉田
訪城日 2009.2.28
参考文献 中世城郭研究(第22号)





【遺構】
大平古城からは4本の尾根が下っている。大平新城からの尾根を登ると、遠構の4段程の段郭に突き当るが、横に10m程の長さがあり、右に回りこむ様にして斜面の緩い側を補っているのが分かる。遠構から先へ進むと尾根の先端に着くが、ここには平場(郭?)があり、その先端側に土塁と思われるものが、L字に折れて尾根の中心を数メートル下っており、尾根を左右に分けていている。更に登ると、三の郭の土塁がL字に折れる部分に出る。大平山への道を行けば、土塁の直ぐ下と少し下った尾根の鞍部に堀切が残っている。土塁の大平山側は虎口と思われ、基部の石?が露出している。主郭までは二段の腰郭と櫓台があるが、南側から主郭へ道が通じている。主郭南側の土塁は石が露出しており、基部の物か土塁の貼り付けた物かは不明である。また、北側土塁からT字に出る土塁があるが痕跡程度の高さになっているが、この土塁は二の郭からの虎口から侵入した敵兵を左へ進ませる役割と、武者隠しの区画を造る役割を持っていたと思われる。二の郭西側と北側には土塁が見られ、四の郭からの虎口は土壇の間を通り、枡形を右に折れて二の郭へ入り、更に櫓台の裾を右へ廻らされて、櫓台からは有効なの射撃にさらされる。下には広めの五の郭がある。 南武さんの「古城を歩く」も参考にして下さい。


【左】遠構遺構の段郭の上段を横から撮ったもの。
【右】三の郭7を主郭側から見たもの。奥から右に土塁が低いが残っており、左奥が
   虎口である。
【左】腰郭6(手前)と櫓台1(奥)を見たもの。
【右】主郭2南側の土塁を見たもの。下の城壁の自然石が露出している。
【左】主郭2の内部を南側から見たもの。左には櫓台の先端が突き出ている。
【右】二の郭3内部を櫓台側から主郭側(奥)を見たもの。
【左】二の郭3への連続枡形虎口9と櫓台8を見たもの。櫓台は小さくなっているが、
   もう少し高かったであろう。
【右】枡形虎口9を4の郭から見たもの。左に土壇がある虎口を入り枡形を右へ折れ
   ると、二の郭の内枡形虎口へと入る。
【左】7三の郭下にある一つ目の堀切。先が城側。
【右】二つ目の大平山側の堀切。先が城側。


【道】
国道136号線から分かれ、狩野川に架かる新城橋を渡り、円教寺を目指す。お寺の駐車場に置かせていただき、尾根上の墓地へ上る道を行けば、大平新城ー更に尾根を登って行けば城址に着く。