佐ヶ野城


形式 山城 【位置】
下佐ヶ野の、南に河津川、東に佐ヶ野川、が流れ、合流する地点に位置する。
年代 天正時代か
城主 不明、北条氏?清水康英?
遺構 郭・堀切・土塁・井戸・石積?
訪城日 2009.10.14
参考資料 ふるさと古城の旅


【歴史】
佐ヶ野城に関する古文書などは発見されておらず、詳細は分かっていない。城域や主郭内の広さ、堀切の幅などからして、後北条氏後期頃の築城と考えられる。



【遺構】
山頂部に東西120m×南北220mの遺構が残り、主郭と二段の二の郭で構成されている。主郭と上段の二の郭の高さは同じで、幅10m前後、長さ60mの堀切で区切られ、中央付近に土橋と思われる盛り上がりが見られる。二の郭からこの土橋を渡ると、主郭側の土塁正面が低くなっているので、虎口とも思える。土塁は南端で終わっているが、斜面は差ほど急ではない。また、北側には堀に張出しがあり、横矢が掛る仕組で堀はクランクして下っているため、正面では堀底が低くなっている。主郭の北には細尾根に土塁を盛り、北側の山へ繋がっているが、こちらからの攻撃には土塁を盛って対処している。南西には前面に石積みが残る水場があり、その東には金毘羅社が祀られている小丘が見え、櫓台の跡であろうか。一方南へ下る尾根には堀切があり、尾根側に土塁が盛られ小石が表面に苔むしている。主郭東側には、入り組んだ腰郭群があり、その中には郭を石で仕切り、段差を設けている所や、縁に石積みが見られる所もあり、複雑な造りである。
縄張り図でも分かるように、主郭内や南側斜面は自然地形が残る造りで、築城途中に放棄された様にも見えるが、この山は比較的丸みを帯びた大きな石を含んでおり、二の郭・主郭共に郭内の石は綺麗に除去され、尾根筋に投棄されている事や、暖斜面をさて置き、急斜面の郭群を先に造っている事などを考慮すると、時間を掛けて築城しようとしていた形跡もある。この城の役割は果せたのであろうか?


【左】二の郭下段を西の尾根先から撮ったもの。尾根には投棄された石がみられる。
【右】主郭側虎口から、堀切の土橋(手前)を挟んで二の郭上段を見たもの。
【左】二の郭から見た堀切と主郭側の土塁。
【右】主郭側から見た土塁。高さは1m前後あろうか。
【左】堀切を中央から南側を撮ったもの。左が主郭で右が二の郭。
【右】左写真の先に続く堀下り。
【左】堀切の北にある張出し正面を堀底から撮ったもの。
【右】南の堀切側から主郭の内部を撮ったもの。
【左】主郭の南西にある水場。現在は水が湧いていないが、前面に石積みが残る。
【右】南尾根の堀切を東から撮ったもの。主郭側に土塁は無いが、尾根側に土塁と表面に小石が見られる。
   主郭側の西斜面が緩く、容易に、回り込まれてしまう。
【左】主郭の東に造られた腰郭群。右の上段が主郭。
【右】細尾根を下ると更に三段の腰郭が残り、その最下段の郭を奥から撮ったもの。縁にも石積みが見られ、奥には大石がある。


【道】

国道414号線を湯ヶ島から河津町へ向かうと、河津七滝ループ橋を過ぎ、下佐ヶ野の上河津郵便局(左側)とセブンイレブン(右側)がある信号を左折し、道成りに500m程行くと左(西へ向かう)へ農道が分かれるので、これを600m程進むと右側に金毘羅神社への登山道と道標がある。車はその先の広い場所へ2台置け、Uターンも出来る。登城時間は15分程と思われるが、私が登城した道は、ここの直ぐ手前の馬頭観音の左の崩れかけのスロープからで尾根を登って行き、15分位でしたが、道はありませんが藪は少なく細尾根で迷いません。上記の道がしっかりしているようです。