昌渓院付城



形式 山城
年代 戦国時代
城主 生駒親正
遺構 郭・櫓台・土塁・堀切
所在地 伊豆の国市韮山金谷
訪城日 2007.9.12
参考資料 伊豆韮山籠城戦の付城と仕寄遺構


【位置】
韮山城の南東、およそ1.25kmにある昌渓院背後の山上に位置し、北東の尾根続きに上山田山陣城(前野長康)がある。


【歴史】
天正十八年(1590)の小田原の役に際し、豊臣秀吉が後北条氏の始祖、北条早雲が終生の城としていた韮山城と、その城砦群を包囲する為の付城の一つである。本は北条方が守っていたが、豊臣勢に包囲されると兵力の分散を避けて、放棄したと思われる。韮山城の包囲実人数は、総16.750人程とみられ、この陣城へ布陣していたのは、生駒親正勢(2.200人)である。



【遺構】
城址は昌渓院脇へ下りる尾根上に南郭と、昌渓院背後の山上の主郭部に分かれる。
【南郭】小郭群で構成されており、土塁や堀切は無い。最下段の郭には虎口が残っている。また、主郭部への途中に低い尾根が平になっている細長い所があり、半分まで低い土塁が残り、兵の駐屯地として使われていたと思われる。そこから高度を上げ、主郭部へ入って行く。
【主郭部】主郭部は差ほど広く無く土塁や櫓台・郭が残り、土塁が天ヶ岳砦とは反対側にあるのが興味深い。これは豊臣方が入る前は、北条方の砦だったよで、韮山籠城に際し放棄されたと思われる。主郭部から北西へ下りると、堀切がクッキリと残っており、その外側にも郭がある。一方、北東へ下りると二条の堀切が見られ、尾根が上山田山付城へ繋がっている。遺構は人が入っておらず、良く残っている。


【左上】南郭の最高所から下の小段郭を見下ろしたもの。急斜面で高度を上げている
     事が分かる。
【右上】主郭の櫓台。奥に主郭がある。
【左上】北西の堀切で良く残っている。
【右上】北東尾根の城側堀切。今回ビデオを主に撮ったので、写真を余り撮らなかった。


【道】
昌渓院を目指し、墓地へ入る所の脇へ車を止めさせて頂く。門を入り右へ行くと左に墓地があり、細い通路を進むと行き止まりになり、左に尾根の先端が来ているが、斜面で足場が悪いので、斜め右の藪へ入り、(余り右へ行くと崖)左へ回り込むと上り易い所がある。尾根を登って行けば南郭へ着きます。竹や藪があるので、マークをお勧めします。主郭部へは南郭の最高所から90度左へ曲がって下がる所を間違えないよう注意して下さい。北東の尾根伝いに上山田山付城へ登れますが、尾根が広い為に迷い易いので、こちらもマークを付けながら行く事をお勧めします。