田中城(丸山)


形式 丘城 【位置】
来光川が合流する谷に突き出た、地元で丸山と呼ばれる丘上にある。
年代 鎌倉期から室町期
城主 田中内膳
遺構 郭・土塁・堀切・虎口
所在地 静岡県田方郡函南町桑原入谷
訪城日 2010.11.24
参考資料 静岡県教育委員会発行、『静岡県の中世城館』



【歴史】
田中城に付いて『増訂豆州誌稿』は、興国寺城主の伊勢長氏(北条早雲)を堀越公方の後見として韮山城へ入らせ、鎌倉北条氏を継承させたと言われる田中大膳の居城としている。



【遺構】
城址のある丘は細長く、二の郭・主郭に分かれています。二の郭は平坦で細長く、土塁などの遺構は確認出来ないが、北側に一段低い現在は畑となっている平坦面が付随し、かつては更に北へと尾根が続いていた。二の郭から主郭へ向かうと、幅3m程で深さ1m位に埋没した堀切に出会う。堀の斜面は二の郭側は緩やかで、主郭側は切り立っているのが分かる。主郭の土塁は高さ1m程(主郭内から)で、両側には踏み跡が見られますが虎口ではないようで、主郭へ入るには堀切に入り、東側の帯郭5を通って主郭先端付近の虎口3まで回されます。この間、城内からの攻撃にさらされる事になる訳です。主郭は上下段に分かれていたと思われ、微高低差が見受けられます。広さは20m×10m程で遺構を見る限りでは、伊豆市田代の田代砦と似ている点もあり、少し大きいが同時代(鎌倉期)から室町期と思われる。城内は木や藪が多いですが、細く柔らかい竹藪なので表面観察は出来ます。


【左上】二の郭内部。西側斜面の傾斜はキツイが、東側は比較的緩い。
【右上】二の郭と主郭間の堀切を東側から撮影。左側が主郭。
【左上】主郭の北東角(中央)と堀切(右奥)。上右写真の左から撮影したもの
【右上】主郭東側の帯郭を堀切から撮影。
【左上】主郭の土塁を東側から撮影。左が主郭内
【右上】土塁上から主郭上段内を撮影。
【左上】主郭の中央西側の土塁状の小さな突出部を内側から撮影。西側土塁の残存なのか?
【右上】主郭の先端部と虎口3。


【道】
神奈川県からですと箱根を国道1号線で下り、三島へ出て1号線から国道136号へ入り「梅名」の交差点を左折して県道141号を道なりに進み、東海道本線のガードを潜り来光川を右手に見ながら進む。来光川を渡る橋から見える丘が城址です。橋から300m程行った所で左へ入る道があるが、狭いので車は太い道に止める。丘裾の家の右側先に踏み跡(写真)があるのでそれを進み、斜面の緩やかな所を20m程登ると二の郭に着きます。地図。