韮山 天ヶ岳F地区


形式 山城 【位置】
韮山城の南東にある山で、北条氏は韮山城を防衛する上で重要拠点と位置付けし、山全体を城砦化している。
年代 天正十七年(1589)〜十八年(1590)
城主 北条氏規
遺構 郭・土塁・堀切
所在地 韮山町韮山
訪城日 2008.1.4
参考資料 伊豆韮山籠城戦の付城と仕寄遺構


【歴史】
北条氏直が秀吉との関係が悪化し始めた、天正十六年(1588)に北条氏規が城主として入城し、翌年から韮山城や天ヶ岳砦の大改修を行っているので、この時に尾根先端部にも砦が造られたと思われる。



韮山城砦区分図

【遺構】
F地区は天ヶ岳から伸びる尾根が、豊臣方の付城群が並ぶ山地へ繋がる最前線に位置し、一触即発の緊迫した砦であった事が分かる。尾根上には本立寺付城と同様の長土塁が残っており、本立寺にあった蜂須賀家政勢がこの地区から韮山城の攻城を開始し、奪取後に本立寺と同じ手法で改修して行ったと思われる。遺構はほぼ鳥瞰図の通り良く残っており、堀切が枝尾根に小規模のものが一条と、主尾根に中規模が一条ある。西端の片堀切と土橋状地形は仕寄遺構とも思えるが不明である。


【左上】主尾根より南へ伸びる枝尾根上の長土塁。この尾根から登り、藪中の土塁へ
     ぶつかった。
【右上】枝尾根伝いに進むと、主尾根の手前で小規模な堀切に出会う。
【左上】右上の小堀切を渡った先の長土塁を、堀切と反対側から見たもの。
【右上】主尾根の堀切で土橋状になっており、北側の堀下りは段状になっている。
【左上】堀切を渡ってからも続く長土塁を、西側から見たもの。
【右上】この地区の西端にある細尾根の、仕寄堀と思しき遺構。土橋状に成っており一人
     ずつしか通れず、手前斜面は堀下っている。左が天ヶ岳方面で、右が尾根先端
     部。
【左】右上写真の堀下り部分。


【道】
江川邸の駐車場を過ぎ昌渓院へ向うと、道が狭くなる小さい切り通しを通り道が下り、左に住宅が見え始める辺りで道がクランクする。車をこの辺りに路駐する。第1の登り口は、右のコンクリート壁にある階段を上って行く。この道は直ぐに踏み跡が無くなり、薮漕ぎの直登になるが、10m程で土塁にぶつかる。途中トゲのある木があるので気を付けて下さい。またマーキングをしないと迷うと思います。第2は、住宅地へ入り左へ曲がる角の家の前に上の畑へ登る木の枝で飾ってある階段を上り、右の少し踏み跡がある所(直ぐに無くなる)を直登すると20m程で稜線に上がれます。私は時間の関係でF地区だけを見たので、第1の登り口から登り、第2の登り口から下りて来ましたが、この方法が良いと思います。第2の登り口は稜線上から畑が見えるので分かると思います。また、F地区から先のE地区、天ヶ岳砦へも行けると思いますが、藪はひどいと思われます。