土肥丸山城



形式 山城 【位置】
丸山スポーツ公園(船溜り)の北半島状に突き出た山に出城と、西から東へ掛けての山に本城がある。
年代 戦国時代
城主 富永氏
遺構 郭・土塁・堀切・石積
所在地 伊豆市八木沢
訪城日 2007.8.3/2008.8.21
参考資料 ふるさと古城の旅・日本城郭大系



国道から見た出城


【歴史】
明応年間以前より土肥周辺に勢力を持っていた高谷城主、富永政直の支城とされている。明応二年(1493)、北条早雲が伊豆へ侵攻を始めると早雲の家来となり領地を安泰される。その後、直勝ー政家と続き、天正十五年(1587)頃の豊臣氏による小田原征伐の動きに対し、土肥の水軍基地を守る為に高谷城と共に改修されたと思われるが、丸山城はその半ばで放棄されたようである。



【遺構】
国道脇から出城側へ道を下ると幅10m程の堀切があり、出城の山頂部には東西30m、南北50mの平場が見られ、東北側には兵糧貯蔵庫だったと思われる5m四方程の土塁で囲われた郭が残っている。海に面した北側には六、七段の腰郭が付属しているようであるが、今回は家族旅行中でハーフパンツでの訪城だった為に藪に入れず未確認である。出城は小田原の役以前には本城として機能していたが、改修により出城として位置付けられた。
一方、国道から本城への道を登ると直ぐに石積で囲われた塁段が見られ、右側には物見曲輪が畑となり残っている。農道の上側が二段の主郭であり、その背後には堀切地形の畑が見られ、更に登ると詰の郭が案内板に表記されているが、畑になっていて遺構は見られない。

2008.8.21に再訪し、出城の主郭から北側の海へ下る段郭を探索し、九段程確認出来たが、藪が多かった為に先端まで行っていないのでまだ有るかも知れない。


【左上】出城の案内板。
【右上】出城の主郭を南側から見たもの。右奥の案内板の後ろが兵糧貯蔵庫と思われる
     小郭。
【左上】兵糧貯蔵庫と思われる小郭内の土塁と、虎口を見たもの。
【右上】兵糧庫の虎口には石積が見られる。
【左上】本城の案内板。
【右上】物見曲輪を道から見たもので三日月の形をしており、石積で囲われ手前は
     空堀地形に見える。
【左上】主郭手前の段状の郭と思われる削平地。当時の物か、後世に畑として利用され
     た物かは分からない。
【右上】主郭の下段を登って来た道から見た所。藪に覆われている。
【右上】主郭の上段を更に上の東屋から
     見たもの。下段に比べ木は生えて
     いるが藪は少ない。背後にL字の
     畑があり、堀切地形だったものか。


【道】
土肥温泉から国道136号線を堂ヶ島方面へ走り、丸山スポーツ公園を目指す。公園の駐車場へは入らず、少し過ぎた半島の左カーブの道が広がった所へ駐車し、出城へは道路を渡った所に案内板と道がある。本城へも案内板と道があるので直ぐ分かる。