形式 | 山城 | 【位置】 韮山城の東に位置し、南には同じく豊臣方の上山田山付城・追越山付城・昌渓院付城があり、韮山城砦と対峙している。 |
年代 | 天正十八年(1590) | |
城主 | 蜂須賀家政(2500人) | |
遺構 | 郭・土塁・堀切 | |
所在地 | 伊豆の国市韮山町金谷 | |
訪城日 | 2008.1.4 | |
参考資料 | 伊豆韮山籠城戦の付城と仕寄遺構 |
【歴史】 本立寺付城は天正18年(1590)の小田原の役時に、豊臣勢が北条 方の韮山城を包囲した際、上記の他の付城と共に築いたもので、蜂須賀 家政(2500人)が入城していた。 |
【遺構】 遺構は全体的に良く残っており、尾根伝いに長土塁で包囲網を形成していて興味深い。また、長土塁の使用は掲載中の天ヶ岳F地区と同じなので、蜂須賀勢がF地区を奪取後に改修して行ったと思われる。本立寺からの登り口を上がると直ぐに土塁が三日月状に残る郭があり、その一段上に削平地が、下の墓地にも小さい土塁が残る郭面があるので、虎口遺構と思われる。登って行くと稜線上に出る手前では、道が縦堀状になっている。稜線の先端に着くと左に祠がある土塁を背負った小郭や、右には土塁と並行する堀もある虎口遺構にぶつかる。虎口を過ぎると平地が続くが右斜面には一段下に帯郭が付随して行く。途中に堀切があり、左側斜面には掘り下りが残り、右側の堀下りは帯郭へ繋がっている。その先の郭土塁が2ヶ所クランクしており、横矢掛かりになっている。左側に土塁もある事から、虎口と思われる。更に登って行くと神社のある七面山の主郭へ着く。奥には土塁と櫓台が残り、右端は背後の小ピークにある小郭と堀切へと続く尾根からの虎口と思われる。主郭から北へ尾根を下りると土塁が断片的に残る郭遺構へ着く。土塁の開口部は下の帯郭への虎口と思われる。帯郭を下りるとそこから尾根上の斜面を長土塁が下っている。途中にもう一つの砦状遺構を経由して浄念寺へと下りて行く。浄念寺裏の尾根先端部には、北虎口があり横堀も確認出来る。浄念寺が建つ周辺にも削平地が見られ、兵の駐屯地として使われていたと思われる。 |
【左上】本立寺から登り、尾根先端にある虎口遺構の祠が建つ小郭。奥のU字地形は 縦堀。 【右上】左写真の祠の裏側から土塁を見たもの。 |
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【左上】二の堀を虎口側から見たもの。左が郭の土塁で右には小さい土塁が残っている。 堀の左側は掘り切っておらず、堀下りも無いが右側は下の腰郭へ下っている。 【右上】最初の横矢掛かり土塁上から、堀切側から来る道を見たもの。正面から狙える。 |
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【左上】二番目の横矢掛かりを正面から見たもので、90度左へ折れる。手前の狭くなった 所は虎口と思われ、正面の広い範囲から狙われる。 【右上】更に主郭方向へ伸びる土塁。土塁の右側は郭になっているが藪は多く、先の 斜面には三段程の小段郭が構えられ、谷からの侵入に備えている事が分かる。 |
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【左上】七面山山頂の主郭。社の左から裏側に土塁と櫓台が残っている。 【右上】社の裏に残る土塁と櫓台(右の高まり)。櫓台の右には虎口がある。 |
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【左上】主郭背後のピークにある小郭の堀切を横(右主郭、左城外)から見たもので、 埋没して浅くなっている。 【右上】主郭から北へ少し下った位置にある郭の土塁を見たもの。一段下の帯郭から 浄念寺へと長土塁が続く。 |
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【左上】上記の郭の帯郭に残る井戸。現在も水が湧いている。 【右上】長土塁の中間にある郭の土塁と虎口(右)を見たもの。二段の腰郭が付属する。 |
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浄念寺の背後に残る坂虎口を上の郭から 見下ろしたもの。浄念寺周辺にも空堀や 土塁、段郭が多数残っている。 |
【道】 車は本立寺の駐車場へ置かせて頂く。本堂へ向かう途中の右に「七面山登り口」と表記のある石段を上ると、扇状の土塁の痕跡が残る郭に出る。土塁の奥に登り道が続いていて、10分程で虎口遺構に着く。 |