三津新城



形式 尾根城 【位置】
発端丈山から700m北へ延びる標高315mの尾根ピークに位置し、南には出城を構えている。
年代 後北条氏時代
城主 後北条氏
遺構 郭・土塁・堀切・切石・井戸
所在地 伊豆の国市長瀬
訪城日 2008.4.30
参考資料 ふるさと古城の旅


【歴史】
三津新城に付いては詳らかではなく、昭和59年に静岡古城研究会によって最近存在が確認された古城址である。南にある三津城北砦や三津城と共に天正七年(1579)頃に築城され、武田水軍との海戦や内浦湾への上陸に備えたものと思われる。小田原の役時にも兵は入ったと思われるが、韮山籠城が決まると放棄されたのではないか。



出城

【遺構】
出城は南側(三津城北砦側)に二重堀切を備え南の防備を固めている。堀切間の尾根は平には成っておらず、南に緩く傾斜している。北の郭は台形をしており、西から堀切側に土塁があり、更に一段高く堀切側寄りに盛られている。腰郭が東から北へ付属している。ここから東へ延びる尾根上には余り明確な遺構は見られない。



【左上】二重堀切の一の堀切を南側から見たもの。
【右上】二の堀切を横から見たもの。一の堀切に比べ郭との段差が高い。
【左上】郭内の堀切側土塁。
【右上】東側の腰郭。道は一段下がって行く。


本城


【遺構】
出城から向うと最初に、細尾根の左側のみに掘り下りの地形が見られる片堀切があり、ここが虎口であったと思われ、ここから本城域に入り直ぐに虎口を守る三段程の段郭が構えられている。櫓台までは明確な遺構は見られない。櫓台は主郭より一段高く、右側には腰郭が付属している。城道は櫓台の左側を周り主郭へ入っていたように見える。主郭は方形で南西に傾斜していて、北東の縁に土塁の痕跡が僅かに見られ、土塁下や北西と南東下に腰郭がはっきり残っている。南の腰郭中央辺りには三つの切石や、卵型の石の上部を切り取ったと思われる石もあり、石には400年前に割った痕が綺麗に残っていて面白い発見が出来た。東へ下る尾根には大小数段の腰郭と縦堀が見られ、その北側には現在も水を湛えた井戸が残っている。


【左上】最初にある片堀切の遺構。左側に堀切が下っている。
【右上】主郭から櫓台を見たもの。左下には腰郭がある。
【左上】主郭内部を櫓台方向から見たもの。手前に傾斜しているのが分かる。
【右上】南の腰郭に残る加工され並べられた石。
【左上】主郭の壁面には石割り道具の目切を2ヶ所入れ、上部を切った跡が残る石が
     埋もれかかっている。
【右上】水を今でも湛える井戸。
【左】井戸の南に残る腰郭。


【道】
三津城(発端丈山)より15分程下ったピークにあります。
詳しくは三津j城北砦を参照して下さい。