韮山城


形式 平山城 【位置】支砦がある天ヶ岳から北へ延びる尾根先にあり、北側には城池を挟んで江川砦もある。
年代 文明年間〜慶応6年(1601)
城主 外山豊前守、北条早雲、北条氏規
遺構 郭・土塁・堀切・水堀
所在地 伊豆の国市韮山韮山
訪城日 2013.3.20日


【歴史】
後北条氏初代の早雲が88歳まで終生を過ごした城である。豊臣氏と関係が悪化した後の、天正16年(1588)頃に北条氏規が城主として入城し、順次本城、天ヶ岳砦、和田島砦、土手和田砦、江川砦、昌渓院砦などを築城・改修していったと思われる。天正18年(1590)の豊臣勢による小田原攻めに際し、ここ韮山城にも秀吉配下の織田信雄・細川忠興・蒲生氏・福島正則・蜂須賀家政・明石則実・生駒親正・前野長康を始め、およそ44100の兵が韮山城塞群の周りに各自付け城を構築して取り囲み、3月29日から攻撃が開始された。これに対し、氏規率いる韮山城塞の北条方は3600人余りであったが、付属の金谷砦・天ヶ岳砦・和田島砦・土手和田砦・江川砦などで良く防戦し3ヶ月も持ち堪えたが、徐々に砦も落とされ6月24日に惜しくも開城となった。



城池を挟んで東側の園地から見た城址。 三の郭東側の城壁。手前には水堀が埋まっている。
四の郭への桝形虎口を、権現郭土塁上から狙撃手の目線で見る。 左写真の同じ位置から権現郭内を見る。
権現郭から二の郭の城壁を見る。角度のキツさが分かる。 権現郭の東虎口。
権現郭から二の郭への途中から見た主郭。切岸がしっかりされているのが分かる。 二の郭内部を見る。奥が主郭側。
二の郭東下の腰郭。 主郭の城壁と堀切。
二の郭と主郭間の堀切。 主郭と土塁。
主郭から南へ延びる土塁ラインと二ヶ所の小堡塁。 西側を意識した土塁に囲まれた堡塁。
南側の物見を兼ねた郭。 南端から主郭方向を見る。
小堡塁の東下の天ヶ岳砦へ繋がる尾根は堀切で遮断され、堀切間には郭が設けられて
厳重に守っている。
二条目の堀切。奥には三条目の堀切が道路となって残っている。天ヶ岳砦へ。