修善寺城


形式 山城 【位置】狩野川と北又川の合流点の城山山頂(248m)にあり、支城の金山城から望める。
年代 康安元年(1361)11月〜貞治元年(1362)9月10日
城主 畠山国清
遺構 郭・土塁・石積・井戸
所在地 伊豆市小立野
訪城日 2012.2.1日


山頂への登山道から城址を見る。 南西尾根の石祠がある物見台。
南西尾根側の腰郭。 南郭。
南郭の神社横には土塁が残り、鉢巻石積も見られるが当時の物かは不明。 神社横の土塁下にある、二段の腰郭。
南郭から北側の主郭方向を見る。昭和の時代に運行されていた索道の待合室が残って
いる。
主郭南下の腰郭。土留の石積が残る。
主郭東下には三段程の腰郭がある。二段目の腰郭。 現在は通信施設が並ぶ石積を伴った腰郭。
井戸が残る主郭。 主郭の北側下の腰郭。
祠のある北郭。背後で尾根が北と北東に分かれ、それぞれに腰郭が見られる。 北東尾根の腰郭は、三段を数える。
北尾根の腰郭群を下から見る。更に先には、ピークを越えて三段程の腰郭があり、
縦深的な
守備を見せている。
北尾根先端の腰郭。修善寺城は南北朝期の山城形態を良く留めている。城の歴史に
付いては、金山城を参考にして下さい。